5月1日(日)聖日礼拝

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聖 書」

イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになった聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
(ヨハネによる福音書 14章23~29節)

説 教 「わたしの平和」
 本日の御言葉はヨハネ書の最後の晩餐において、イエス様が「告別」に際し、弟子達に語られた言葉です。弟子達はここに至り、イエス様が本当に死に赴かれるのだということを悟りました。弟子達は今、打ちひしがれています。弟子達の失望の中身は何でしょう。それは死が全ての希望を消し去ってしまうことです。弟子達はイエス様と共に歩み、生きていく中で、「いのちへの道」が摑めるのではないかと思っていました。それがイエス様がいなくなれば、また彼等の生が再び「無意味さ」に突き落とされるのです。死はそれほどに「関係性の断絶」と「深淵さ」を語っています。また、愛する者との別れの「悲しみの深さ」を語っています。イエス様は、弟子達のその心の中を知りつつ、本日の言葉を語られました。今、イエス様は御自身の「死の意味」を伝えようとしています。本日の御言葉は実を言うと、キリスト者が派遣に赴く先で何を語るのかということを教え、また自分のいのちが神が与えられる永遠の命と愛に含み込まれていることをも確信させるメッセージとなっています。
 イエス様は弟子達に御自身の死の意味を4つの事柄として説き聞かせました。わたし(イエス)を愛する者は(わたしが死んだ後も)①わたしの言葉を守る。②わたしの父はその人を愛す。③われわれはその人のところに行く。④われわれはその人のもとに住まいを造る(一緒に住む)。と教えられました。これは永遠の世界のことを語っておられつつ、今ある世界に起こる出来事を語っておられます。イエス様は、わたしが死んでも関係性は終わらない、「あり続ける」のだと語っておられるのです。この答えは弟子達が、「私達には御自身を現そうとなさるのに、世にしないのは何故ですか。」と問うたときのものです。イエス様は分け隔てをなさっておられるのではなく、神との関係、イエスとの関係に信頼を置くものにしか出会うことができない世界であると語られているのです。ですからイエス様は、わたしが死んだ後、聖霊がすべてのことを「思い起こさせ」てくださると語られました。関係性のある者同士にしか「思い起こす」ことは適いません。イエス様は「わたしの平和」を与えると言われました。イエス様は生きている時、死んでからも「神が共におられる平和」がありました。私達もそれを戴けるのです。感謝。