1月2日公現日礼拝

「聖 書」

新しい歌を主に向かって歌え。

全地よ、主に向かって歌え。

主に向かって歌い、御名をたたえよ。

日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。


(詩篇96編  1~2節)

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

(マタイによる福音書 2章1~12節)

「主に向かって歌え」

主の年2022年が始まりました。本年の教会標語は詩篇96編「新しい歌を主に向かって歌え」です。この詩篇はクリスマスイブやクリスマスに伝統的に読まれてきました。キリストの降誕と再臨を想起させる詩歌となっているからです。ユダヤ教においては新年祭(9月)にて朗読されます。この意は歴代誌上16章「神の箱の天幕への安置と儀式」の故事に因んでいます。あの有名な神の箱を迎え、喜び踊るダビデの物語の後の「神の箱の安置の儀式」のことです。70人訳の「見出し」には「捕囚の後に主の家が建てられた時」となっています。「主の家」つまり第二神殿のことが語られていると考えられます。何れの意にせよ、ユダヤ教の人々は「新年祭」に、詩篇96編を朗読し、ヤハゥエの即位祭の礼拝式文として用いました。これは、神との新年祭における契約の更新であり、神が世界の創造者、又、正しい裁き主なる王、支配者として来臨されることにより、新しい救いが実現し、民の内的外的生活の新しい祝福の力が与えられる時として、新年祭を祝うことを続けてきたのです。翻って、キリスト者は詩篇96編を、どのように受け止めたら良いでしょうか。前述した如く、主イエスの降誕と再臨の詩として解します。本日「シメオンの賛歌」(レンブラント)(別紙)を御配りしました。この記事はルカ書2章の「主の奉献」の中で献げられた「賛歌」です。シメオンが輝いています。その中心には幼子主イエスがおられます。「主の奉献」は主が神殿に献げられ、主が「新しい神殿」になられたことを意味しています。この「新しい神殿」は、毎年、更新するものではありません。永遠に完成された「神殿」です。そのことが語られている美しい場面なのです。しかし絵画をよく見ると、周りが暗いことに気づかれるでしょう。これはシメオンが最後に語る「多くの人の心にある思いがあらわにされる」という言葉を意味しています。主イエスはキリストとして到来されました。しかし全ての者が受け入れた訳ではないのです。主の奉献の時、主をキリストと受け入れた人は二人でした。他の人々は「暗闇の中」だったのです。私共は、どうでしょうか。「公現日礼拝」に読まれる「東方三博士の礼拝」の旧約預言は、イザヤ書60章「起きよ、光を放て」です。2021年最後の主日に「自分の心の内側を確かめましょう」と語りました。私共は新年、礼拝者として霊に満たされ、新しい歌を歌い、共に参ります。