1月3日(日)聖日礼拝

「聖 書」

「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。」

(民数記 6章24~26節)

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」

(マタイによる福音書 2章1~12節)

説 教 「あなたを照らす光」

2021年が始まりました。本日は「公現日礼拝」です。「公現」ですから、御言葉は「東方三博士の礼拝」を用いますが、併せて、本年の「教会標語」である民数記6章「祭司の祝福」を中心に説教を致します。東方の三博士は何を求めて「メシア」のところに来たのでしょうか。主イエスの御降誕の頃、「メシア待望」はローマ帝国内の非ユダヤ教徒たちにも広く知られていたことは衆知のことです。それは散らされていたユダヤ人や改宗者たちが「終末のメシア」ことを語り、当時強くメシアを待望していたという事から来ています。この「待望」は世界の広い範囲に及んでいました。その「待望」の中身は何なのでしょうか。ユダヤ人の待望はイスラエルの再建ですが、マタイ書に記された異邦人の待望は「永遠の救い」です。同じ事を語っているようですが、現在も続くユダヤ人の待望との違いは「イエス」です。東方の三博士はヘロデ王に、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは(その方を)拝み(プロスクネオー)に来たのです。」と語り、そして遂に「幼子イエス」に出会い、「イエス」を神(メシア)として認め、礼拝を捧げたのです。彼らの目的は「礼拝(拝む)」だったのです。ここに「公現」の意味があります。「クリスマス」の意味があります。私共の救いも「礼拝」にかかっています。まことの神に出会い、主イエスを「礼拝」することにかかっているのです。本年の「教会標語」である民数記6章の御言葉を御覧下さい。「ナジル人の誓願」とあります。先週お語りした御言葉です。「主の奉献」の基の御言葉です。「ナジル人」は「誓願」(ナザール)から派生した言葉です。「聖別、分離」の意味です。この言葉は「神に献身したしるし(冠:ネゼル)」とも通じ、「ナジル人」を表しています。(メシア預言のイザヤ書11章「若枝」(ネゼル)「ナザレ」を思い起こす言葉でもあります。)この聖別は、現在の「キリスト者の姿」のことです。私共は霊的に主に出会い、主を信じ、救いに与り、「礼拝者」となりました。その「救い」に「祭司の祝福」があるのです。式文の祝福です。「祝福」は三位一体の祝福です。その基は本年の「教会標語」である本日の御言葉です。「神の愛=守り=幸福」「主イエス・キリストの恵み=恵み=贖罪」「聖霊の交わり=平安=平和」この神からの祝福は「献身者」「まことの礼拝者」に与えられます。本年、神の祝福を共に参りましょう。