10月25日(日)聖日礼拝

「聖 書」

 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人人を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

(マタイによる福音書 22章34~40節)

説 教 「最も重要な掟」

本日の御言葉は以前に解き明かしを致しました。基となる解釈は本日語ることも同じです。(2011.10.23参照)そこで本日は、その基を思い起こしつつも、更に文脈を理解しながら御言葉を聴きたいと願っています。先週の御言葉では、「権威問答」の答えが出されました。主イエスの「権威」は、どこにあるのか。それは神の御旨に生き、「神の権威」に服しているところにある。このことが主の答えでした。本日の御言葉は、実に有名な御言葉ですが、この御言葉は、続けて「試み」を受けられる「復活問答」に入れ込まれたものです。前節に記されたサドカイ派との問答と本日の御言葉は関係があるのでしょうか。それは勿論あります。本日の御言葉に、「イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、ファリサイ派の人々は、一緒に集まった。」と記されてあることからもマタイの意図を汲み取ることができます。ですので本日の御言葉ではありませんが、前節のことも簡単に語っておきます。復活はあると教えていたファリサイ派と復活はないと考えていたサドカイ派は普段は仲がよくありませんでした。復活はないと答えさせるためにサドカイ派は理屈をこねた「復活問答」を「権威問答」を終えた主にしました。主の答えは、「あなたたちは、聖書も神の力も知らない。復活はある。」というものでした。そして続けて、「神は生きている者の神である。」と答えられたのです。そして続けて、本日の御言葉です。ファリサイ派の人々は、イエスの答えは、私達と同じで見事だと思ったでしょうか。それはそうではありません。ファリサイ派の人々は考えの違うサドカイ派と「一緒」になって、主を試みたのです。その試みは、「律法の中で、どの掟が最も重要か」を問うものでした。これは613ある「戒め」(トーラー・タルムード)の知識と解釈の理解を試みたものでした。彼らの「試み」に接し、彼らに神の命がなかったことが理解できます。主は、律法の本質を教えられました。律法は自分を誇るためにあるものではない。律法は先に「神の愛をうけとること」があり、その愛の「応答」として、律法は与えられているのだ。だから律法の「最も重要な掟」は、「神から人から愛されていることを覚え、それに応答し、神を愛し人を愛する」ことであると主は教えられたのです。主は、神は生きておられる、その神に日々出会い、感謝の応答をすることが最も重要な掟であると教えられたのです。