11月10日(日)聖日礼拝

「聖 書」

わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。

 終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。

(テサロニケの信徒への手紙 二 2章16~3章5節)

説 教 「善い言葉を語る者」

テサロニケの信徒への手紙を要約するならば、「歴史の終末は必ず来る。しかし、そのことに心を奪われて日常生活をおろそかにせず、希望をもってキリストの再臨を待ちなさい。」となるでしょう。パウロは第二回宣教旅行にてテサロニケに赴きました。宣教は成果を収めましたが、ユダヤ人からの妬みから、暴動を図られ、パウロはテサロニケを後にしました。(使徒15章)パウロは、産声を上げた教会を愛し、心配をし、テモテを送り、テサロニケ教会に手紙を送りました。そして、その後、テモテから報告を受け、彼らからの質問もあったので、それを答えるためと、教友を励ますために送られた手紙が、本日の御言葉です。彼らの質問とは、「キリスト再臨以前に死んでしまった人間はどうなるのか?」「キリスト再臨の時期はいつか?」というものでした。このことについてはテサロニケの信徒への手紙一に答えが記されています。パウロは、的確な答えを与えた後に、本日の御言葉である「救いに選ばれた者の生き方」を勧告しました。この生き方は「不法な者についての警告」との対比になっています。「不法な者」とはユダヤ教の黙示文学の遺産であり、「ベリアル」「偽預言者」「反キリスト」とも呼ばれるものです。キリスト者を惑わす「サタンの働き」のことです。テサロニケの人々は、これらの「惑わす不法な者」との対峙から、「信仰の不安」を抱えていたのです。私達も同様です。キリスト者の人生は常に「嵐」の人生であり、「サタンとの戦い」の人生です。そのことに勝利する方法は一つしかありません。キリストに依り頼み、神によって生きることです。この方法に依り頼む時に、私共は「善い働きと善い言葉を語る者」とされます。ではパウロの語るキリスト者の「善い言葉を語る」とは如何なること言っているのでしょうか。これは「自分の言葉を求めず、神の言葉のみを語る」ということです。このことを具体的に語る「証し」があります。昨年の夏、NHKラジオ第二「宗教の時間」にて語られた「阪田寛夫」氏のことを語る娘の内藤氏からの「証し」です。「土の器」を書いた阪田氏は厳格なキリスト者の家で育ちました。しかし阪田氏は自らを「不良キリスト者」と称していました。祈りも嫌いでした。さっちゃんの作者でもある氏は言葉を紡ぐのが生業でした。その彼は晩年、妻の介護疲れから鬱になります。言葉も失いました。しかし妻の願いから教会生活が復活し、共に身を寄せ合いながら晩年キリスト者の人生を全うしたのです。この姿が「善い言葉を語る」という意味なのです。