11月21日(日)聖日礼拝

「聖 書」

更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。  わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。  神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

(ヨハネの黙示録 1章5~8節)

「アルファでありオメガ」

本日の御言葉は最後に「わたしはアルファであり、オメガである」と結びます。これはどなたのことを言われているのか。これは勿論、キリストのことを言われています。この意味は、キリストが御自身で自分は神であると啓示されたのです。私共に「救いの完成の日」を見せるために、ヨハネに主は「黙示」(アポカリュプシス)を伝えられました。ヨハネの黙示録は「イエス・キリストの黙示」です。私共も又、本日の御言葉の意味に目が開かれる時、ヨハネが味わった「深淵であり豊かな霊の平安の満たし」を受けるでしょう。本日は「終末主日」ですが、先週にも語りました如くに、キリスト教歴は「円環」です。「始め」と「終わり」があるのではなく、神の「歴」は永遠に続くのです。神は歴史の支配者でもあるからです。では私共は「神の時」と如何に向き合えば良いのでしょうか。それは、本日の御言葉が教えています。私共は「誠実な方」であるキリストに「信頼」を置いて、再臨の主を待ち望みつつ信仰者の生涯を歩んでいけば良いのです。次週から「アドベント」が始まりますが、アドベントはラテン語の「到来」を意味します。又、ギリシャ語の「エピファネイア(顕現)」やキリストの「到来」「再臨」(パルーシア)も意味しています。つまり次週から新しい「歴」が始まるのではなく、昨日も今日も明日も変わらない「神の時」を歩み続けるのです。では私共は何も変わらないのか。それはそうではありません。私共はキリスト教歴の「歴史」を刻みながら、日々に霊的成長を為していかねばなりません。終末は必ず来ます。しかし私共は何も恐れることはありません。本日の御言葉でヨハネが証ししています。私共には、三位一体の神の「恵み(愛)」と「平和(和解)」が、どんな時にもあり続けます。御自分の血によるキリストの愛は、私共を罪から解放して下さっています。私共は神の国の住人として生き、常に神に礼拝を捧げる者として生きる者に変えて下さったのです。しかし私共はつまずきやすい者であることも自分がよく知っています。ですから神は「7つの教会」にあてた手紙を通しても、神は私共の霊的状態を常に見ておられて、天使を遣わして、信仰を健全にする働き(愛)も見せて下さいました。「時(カイロス)が迫っています」私共は世(サタン)に勝利し、愛に生きる者でありたいと願います。そして共に「マラナ・タ」(主よ、来て下さい)と言い、主を迎えましょう。