12月1日(日)聖日礼拝

「聖 書」

更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位を持って歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。

(ローマの信徒への手紙 13章11~14節)

説 教 「救いは近づいている」

待降節第一主日を迎えました。キリスト教歴の第一日目です。本日はローマ人への手紙を通して福音に与ります。本日の御言葉は伝統的に「待降節第一主日」に読まれてきました。読むと「終末」への備えとして解される「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。」が記されています。「時の認識」と解されてきた箇所です。「夜は更け、日は近づいた。」終末が近づいた緊迫した情況を伝える文言です。クリスマスを迎える私達に本日の御言葉は何を語っているのでしょうか。代々の教会は、クリスマスを待つ姿勢を整えるにあたって、これを単に年中行事に終わらせるのではなく、歴史の流れを見渡し、終末の日を思い、生ける者と死ねる者を裁くために再び来られる(パルーシア)主を待つ姿勢を堅持しながら、クリスマスを単に「過去を祝う祭り」としないようにしたのです。それは伝統的な教会は、「降誕節は主の第一の来臨「降誕」(パルーシア)を思い起こして、既に与えられた恵みに感謝すると共に、第二の来臨「再臨」(パルーシア=アドベント)を望みつつ、主を迎える姿勢を正す時」としてきたということです。しかし私は、この解釈は是としても、本書の解き明かしとしては正しいのだろうかという疑問を持ちます。本書の中でパウロは「神の義」を説いています。また「信仰義認」を告白しているのです。本書は新約聖書の書簡の中で最大のものであり、内容的にも最重要なものの一つであって、「キリスト教教理の綱要」(メランヒトン)とさえ言われます。本書にて展開されているのは「恩寵論」です。パウロ先生は、ローマの教会にて問題となっていた「ユダヤ人と異邦人の和解」について、本書にて、神の恩寵である「信仰」を語ったのです。ここに記されてある初代教会だけではなく、現代の教会も「自己義認(異端)」に振り回されます。信仰を恩寵から、自分の義の道具にする愚に走る危険があります。パウロ先生は信仰の正しさは、「イエス・キリストを身にまとう」ことを通して、悟ることができることを伝えたのです。「救いは近づいています」これは、再臨の主を待ち望む思いは常に持ちつつも、パウロ先生の伝えていることは、「あなたの救いは近づいている」の意味です。キリスト者として召された「あなたがた」は、「光の子(救いの子)」とされる。それは常に「キリストを着る」ことを通して為される。降誕節は、古い自分に死に、「キリストにおける霊なる新しい生活」を始める時として備えられています。古い自分(夜は更け)を悔い改め、新しい命(日)を共に生きましょう。