12月26日(日)聖日礼拝

「聖 書」

愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊〟によって分かります。

(ヨハネの手紙 一  3章21~24節)

「神の内にいつもとどまる」

感謝の内に、主の年2021年が終わろうとしています。先週に執り行われたクリスマス礼拝とイブ礼拝を通して、未だ、日本の人々に、地域の人々に福音が届けられていない事実を思いました。日本にもクリスマスは定着し、キリスト教のことも知られるようになってきました。しかし真摯な思いを携え、主イエスの前に跪き、礼拝を捧げる人は少ないのです。主イエスに礼拝を捧げる行為は霊の働きです。私共は個人的な神からの数々の恵みに感謝を捧げつつも、隣人の救いの為に愛を注ぎ、祈りを捧げる熱意に於て、愛の足りない者であったことを自覚しましょう。クリスマス礼拝での説教において、「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」と語りました。そして、イエス・キリストは私共の罪を贖う「神の小羊」であったと申し上げました。この意味はキリストは「最も小さな者」として世に降られたと言うことです。これは神の愛の姿です。世の最も小さな者に寄り添う為です。全ての人のキリスト(救い主)となる為です。このことを私共の生活に適用するならば、「(神の)恵みと真理(と愛)は、最も小さな者(イエス)を通して現れる」となります。福音は世にあって小さくされていた羊飼いに最初に告げられました。主の母マリア、ザカリアの老妻エリサベトも又、小さな者でした。異邦人であった東方の博士たち、病人や徴税人、差別を受けていた人々、貧しい人々、世の人々に顧みられなかった人々に、神はイエス・キリストを通して福音を現されたのです。神の救いは、病の癒しにとどまらず、「魂の救い」です。これは「インマヌエル」の救いです。神は小さな者を顧みて下さった、「神は我らと共におられる」という魂の喜びを得ることが福音であり、神の救いなのです。降誕節を過ごす私共は常に「クリスマスの心」を持つことが大切です。しかし、その心は一年中灯し続ける火とならなくてはなりません。私共には常に主が共にいて下さるのですから。しかし、このことをクリスチャンらしい行為をすれば良いとなってはいけません。行いが大切なのではありません。自分の内側から出てくる愛による行動が大切なのです。一年の終わりに、自分の行いを振り返るのは「内なる自分」を見るためです。私共が神の愛を受けて新生している自分を確かめるためです。主にある私共は互いに愛し合いましょう。2021年を感謝し、新年も又、神の内にとどまり、インマヌエルと共にあり続けます。