12月29日(日)聖日礼拝

「聖 書」

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずかせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。

(コロサイの信徒への手紙 3章12~21節)

説 教 「愛を身に着けなさい」

2019年の最終主日を迎えました。皆様にとって、この一年は、どのような一年であったでしょうか。某新聞に「日本の十大ニュース」と「世界の十大ニュース」が記されていましたが、成程と思わされる反面、混迷の時代を生きていることを実感させられる思いもしました。私共にとっては「フランシスコ教皇」の訪日と「中村哲医師」の銃撃事件は大きなニュースでありました。この二つのニュースは十大ニュースに入ってはいませんでしたが、日本のキリスト者にとっては、「キリスト者の生」に関わる出来事でした。今年の「十大ニュース」を一括りで語ると「貪欲」です。フランシスコ教皇は世界の「貪欲」に警鐘を鳴らし、「清貧」の大切さを訴えました。そして広島においては「平和」への強いメッセージを語られました。中村哲医師の死も又、世界の「貪欲」からの挑戦を受けたものです。私共の世界は、今どこに向かっているのでしょうか。キリスト者の「生」の値打ちは存在しているのでしょうか。私共は今こそ、命について真剣に向き合わなくてはならない時代が「今ここ」に来ていることを知る必要があるでしょう。共に「キリスト者の生」について、御言葉より恵みを賜りながら、本日は思いを深めつつ、今年一年の締めくくりもしておきたいと思います。本教会の今年の教会標語は「愛の共同体」でしたが、少しは前に進めることができたでしょうか。志半ばと言うのが実感でしょうか。私共の歩みは遅々たるものであっても、神の愛に守られ、神の愛を十二分に受けながら、この一年を過ごすことができたということは、皆に共通するものです。主なる神に満腔の感謝を捧げます。さて、大江健三郎の本に「新しい人の方へ」の名のものがあります。本日の御言葉、コロサイ書(3:10)からの引用です。この本は吉野源三郎「君たちはどう生きるか」の大江版と言えるものです。著書の中で大江は子どもたちに向けて、「意地悪さへの立ち向かい方」や「うそをつかない力をつける」等を教えています。彼の執筆動機は「平和」への希求です。その証しは、彼は自分の少年時代の経験(戦時中)を基にしながら、子どもたちに「生の大切さ」を伝えていることから解せます。本日の御言葉も又、平和の希求です。それも「キリストの平和」の希求です。高橋文蔵先生は、それを身に着けられた方でした。キリスト者の生を生き抜き、すべてのものの「上に」「愛を身に着けられた方」でした。この生こそが「新しい人」です。私共も又、師に倣い、来年も「愛を身に着ける生に生きる者」でありたいと願います。