5月3日(日)聖日礼拝

「聖 書」

 

主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。

わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。

命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。

 (詩篇 23編2~6節)

説 教 「杯を満たす」

詩篇23編は多くの信仰者が暗唱し、朗誦する「御言葉」です。キリスト者が、この詩編を慰めとする理由は主が「良い羊飼い」であることを知っているからです。(ヨハネ10:11)では私達はどうでしょうか。本当に主は「私達の良い羊飼い」であると心から信じているでしょうか。本日はその意味を深く知るために、詩篇23編から御言葉に聴くことに致します。本日の御言葉に、「わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。」があります。「頭に香油を注ぎ」は「聖霊を受ける」の意味です。「杯を溢れさせ」は「霊的な喜びに溢れる」の意味です。この状況は苦難を前にして起こっている出来事です。そのような苦難の中にあって「喜び」を与えて下さるのは、「主」であると作者は、ここで告白しているのです。本日のこの御言葉を具体的に語る「証し」があります。「死の谷を過ぎて~クワイ河収容所」です。著者はアーネスト・ゴードン氏です。この話は、第二次世界大戦下での「泰面鉄道建設の捕虜労役」が元になっています。日本では「戦場にかける橋」の映画で有名です。泰面鉄道建設は多くの人が駆り出され、当時の日本の捕虜にも苦役が課され、多くの死者が出ました。後に、泰面鉄道は「死の鉄道」と呼ばれました。アーネストは、その建設に携わった日本の捕虜の一人でした。アーネストは、この時の状況を述解して、「飢餓、疲労、病気、隣人に対する無関心、私達は家族から捨てられ、友人から捨てられ、自国の政府から捨てられ、そして今、神すら私達を捨てて離れていった。」と語りました。そんな彼に転機が訪れます。キリスト者のダスティとの出会いです。アーネストがマラリアに罹り、死の家に運び込まれたときに、手厚く看病してくれたのが、ダスティでした。彼は、無神論者でしたが、ダスティとの関わりの中で、「神は私達を捨てていなかった。ここに愛がある。神は私達と共におられた。私はクワイ河の死の収容所の中に神が生きて、自ら働いて奇跡を起こしつつあることをこの身に感じていた。」と語ることができるようになり、「笑顔」まで取り戻しました。地獄が、同じ状況下で天国に変わったのです。その後、彼は解放された後に、自分を苦しめた日本兵を介護し、食卓を整えました。彼の杯(魂)は溢れました。日本兵も喜びで満ちました。主は良い羊飼いです。