5月31日(日)聖霊降臨日礼拝

「聖 書」

あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる。

どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。主が地を見渡されれば地は震え、山に触れられれば山は煙を上げる。命ある限り、わたしは主に向かって歌い。長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び歌う。

(詩編 104編30~34節)

説 教 「新たにされる」

本日は「聖霊降臨日礼拝」です。聖霊降臨日礼拝では、御言葉として使徒言行録2章やヨエル書3章がよく用いられます。しかし本日は詩編104編を用いることとします。詩編104編も又、聖霊降臨日に伝統的に用いられてきた御言葉ですが、「ペンテコステ」の意味を考える上においては最適なものと言えるでしょう。その意味は、「ペンテコステ」を単に「聖霊降臨」と捉えるのではなく、ペンテコステを「神の計画」と捉えることができるからです。その意味を一言で語るなら、ペンテコステは「再創造」です。「新たにされる」ことです。本日の御言葉は103編と104編が並列の関係になっています。詩編103編では「神の愛」(ヘセド(慈しみ)とヘーン(憐み))が語られています。私共の罪が贖われ、「新生の命」を生きる幸いが語られています。(詩編51編「ダビデの詩」に繋がるものです。)そして、詩編104編では「創造の業」が語られています。創世記1章の詩編版とも言われるところです。しかし、それは創世記のコピーではなく、103編の続きとしての「創造」です。その意味は、神の「創造の業(目的)」の本来の姿が描かれている「創造」なのです。その証拠に30節において「あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる。」と今ある世の姿ではなく、「新たにされた地の面」が語られています。この「創造」の完成の姿は「天国」です。「神の支配(国)」です。この詩編の作者は二つの詩を「わたしの魂よ、主をたたえよ。」と同じ言葉を用いて繋いでいます。私共が神の新しい創造の地の面の幸いを得る為には、これらの二つのことが必要であるということを作者は告げているのです。私共が「神の愛」=「主の十字架の贖い」によって清められ(聖なる者にされ)ること、新生された命(魂)に、「神の息(霊)」=「聖霊」がおくられること、このことが「神の計画」(神秘)の実現です。この「神の計画」の実現の中で、私共は、「どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び歌う。」(34節)の新生の命、天国の住人の命を生きるのです。これは「新天新地」の世界です。「新天新地」では、「(神が人と住み)彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録21:4)が実現します。ですから聖霊降臨は天国の住人とされた私共に歌を与えるのです。