8月22日(日)聖日礼拝

「聖 書」

わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることは出来ない』と言ったのだ。」このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

(ヨハネによる福音書 6章60~69節)

「わたしたちは信じ、また知っています。」

本日の御言葉に、ペトロの「信仰告白」が記されています。しかし、その後に続く、主イエスの評価は記されていません。これはペトロの信仰告白が的外れのものであったからと解釈する聖書学者もいます。それに比して、マタイ書はペトロの信仰告白に対して、主イエスの最大な賛辞とも採れる評価がされています。「天の国の鍵を授ける」(マタイ16:19)この「あなたはメシアです」という信仰告白は共観福音書の全てに記されていますが、又、加えてマタイ、マルコに共通しているのが、その後に続く主イエスの叱責、「サタン、引き下がれ」です。本日の御言葉の後節に記されたユダに対し、放たれた主イエスの言葉、「一人は悪魔だ」とも共通しています。私共は、主イエスを信じ、「信仰告白」をします。しかし私共の信仰は確かなものであるのでしょうか。独りよがりのものかもしれないと不安が過る事もあるかもしれません。しかし、その思いこそが「悪魔の仕業」です。主は常に、私共の戸口に立ち、招き(選び)続け、戸をたたき続けて下さっています。(ヨハネ黙示3:20)主イエスを信じ、告白する者には「天国の扉を開く鍵」を授けて下さる愛の神様です。主イエスは「信仰告白」をしてもなお、悪魔の誘いが「弟子たち」にあることを知っておられました。主イエスは肉の弱さ(神を信じない心)を持つ人間の真実を知っておられました。悪魔の人を神から引き離そうとする力の強さもよくご存じだったのです。(荒野の40日)本日の御言葉にて主イエスは、「最初から」信じない者や裏切る者を「知っておられた」と記しています。主は最初から全てを御存知の全能の神であり、信じない、裏切ることを最初から知りつつ、「弟子」とされたのです。この弟子の姿は我々です。私達は神に対してとんちんかんで、不信、疑いを持ち、悪魔の誘惑にすぐに陥る「肉」の人間です。私共をまことの「天国の住人」とする方法はないのでしょうか。主イエスは十二弟子たちに「離れていきたいか(そうではないだろう)」と声を掛けて下さいました。肉の弱さを持ちつつ、「確かな方法」を見つけさせたのです。その方法は、ペトロの「信仰告白」、「わたしたちは信じ、また知っています。」です。主をキリストと信じること、これが私共を永遠の命の世界を知る者とさせる方法です。私共は悪魔に勝利し、肉から霊の命に入りました。この信仰は主イエスの命から戴いたものです。主を信じ永遠の命を共に生きましょう。