5月15日(日)聖日礼拝

「聖 書」
 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から降って来るのを見た。
 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ、これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

(ヨハネの黙示録 21章1~5節)

「万物を新しくする」

本日は「新しい創造」についての御言葉の解き明かしを致します。先週の説教において、先に召されたキリスト者が「白い衣」(勝利者)を着せられ、天上で礼拝を捧げている姿を見させていただきました。キリスト者の慰めです。しかしこれは、まだ始まりの物語にすぎません。この黙示は現実のものです。その証拠に本日の御言葉5節に「玉座に座っておられる方」が直接に語っておられるからです。黙示録において神御自身が語られている場面はこのところだけです。創造主が言われました。「見よ、わたしは万物を新しくする。」これは文字通りの意味です。神のマスタープランは確実なものです。創世記2章において、「天地万物は完成された」と記され、前章において、「見よ、それは極めて良かった。」と記しています。しかし人の世界、私共の現実の世界は「極めて良かった」とは言い難い世界であると誰もが思うのではないでしょうか。この現実は人の原罪に起因しています。アダムの罪の結果、人の世界に「死」が入り込みました。人は死を恐れ、原罪を抱えながら苦しみの人生を歩む者となりました。神は人を救う計画を立てられました。「神の国」を到来させるメシア(キリスト)の派遣です。メシアは聖書に預言され、アブラハム、ダビデの子孫から誕生することが告げられていました。その預言の通り、メシアは二千年前にエルサレムに来られました。しかし人々はメシアを受け入れずに十字架に架けて亡き者にしました。しかし主は三日後に復活させられ、今は天上におられます。復活の初穂となられたのです。この復活の命は、神の福音を信じる者にも与えられる「恩寵の恵み」です。神は、「新しい契約」を与えられました。(ルカ22:20)「新しい契約」とは、イエス・キリストを仲保者とし、神が人の罪を赦して、心が神に向いている人々(回心:悔い改め)と神と交わりの回復を為すことができるというものです。この「新しい契約」はメシア的王国(千年王国)の実現だけではなく、「新天新地」まで含意した契約です。「新しい契約」はヨハネ書においては「新しい掟」となっています。その掟は「互いに愛し合いなさい」です。天国は「最後の審判」の後に天から下って来ます。その姿は着飾った花嫁のようです。この後、天と地は一つとなります。それは「互いに愛し合う関係」において「一つ」の意味です。互いに信頼し、愛し合い、仕え合う姿は天国のひな形であり教会の姿です。