「聖 書」
それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようにしっかり保ちましょう。
(ヘブライ人への手紙 9章24~28節、10章19~23節)
「新しい生きた道」
ヘブライ人への手紙の結びに、(13:20~21)「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。」と書かれています。これは本書の要約である(4:14~16)「偉大な大祭司」と同じ意味を語っています。本書が書かれた頃は初代教会の迫害時代でした。又、「異なった教え」が広がり、キリスト者が迷い、律法に帰り、背教する者が出てくる時でもありました。先週、私共は「新天新地」のメッセージをいただき、天への希望に溢れましたが、私共に与えられたこの信仰を堅持していくために本日の御言葉は与えられています。本日は「主の昇天主日」でもあります。いよいよ次週は「聖霊降臨主日」です。この教会歴の歩みの中で、私共は私共の「教会」が如何に「聖霊の働き」によって生き生きとしたものとされているかを知る者とされていくのです。本日読みました前半部は「教理」の部分です。本書の著者はユダヤ教に精通していて聖書をよく理解しています。彼はメシアニックジューに向けて「説教」をしているのです。しかし彼の語る「偉大な大祭司」は真理であり真実(ピスティス)です。「祭司」はラテン語で(ポンティフィックス)と言います。直訳は、「橋を架ける者」です。主イエスは完全なる神であり、完全なる人でありました。ですから主イエス唯お一人が、天と地を繋ぎ、神と人を結ぶ「橋」となる「仲保者」になれるのです。この天につながる「新しい生きた道」は、尊い御子の「贖いの犠牲の血」、至聖所の垂れ幕である「キリストの体」が裂かれる犠牲によって成就されました。今は主が「天そのものに入り」(9:24)、「聖所」(ハギオス)を造られました。著者は勧告します。「主に留まれ」と。本日の御言葉の後半部は「適用」です。私共が、信仰に迷うことなく「天に向かう道」を歩んで行けるように、御言葉は具体的に何をすれば良いかを語ります。「新しい生きた道」(新生)を行きます。「生きた」は「主イエス」「永遠の命」を示しています。「真心から神に近づく」(聖化)「真心」(アレシノス)は「思いを尽くす」「聖霊に委ねる」ことです。神は真実(信実:ピスティス)な方です。あなたを最期まで愛し抜き、天に導かれます。