「聖 書」
「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
(ルカによる福音書 21章5~19節)
「世の終わりはすぐには来ない」
主イエスは神です。ですから世にある森羅万象の出来事の全てを御存知の方です。そのお方が「世の終わりはすぐには来ない」(ルカ書のみに記載)と言われました。ルカはマルコを底本にしながらも「終末」を抽象でなく、「歴史上の」現実の世界に即して具体的に語ろうとしています。9節までは(前半)です。(前半)ではユダヤ戦争における「神殿の崩壊」(AD70年)を語っています。10節以下の(後半)では、勿論「終末」のことを語っているのですが、主の再臨の「その時」というよりも、終末の世の完成に向けて、今を生きる全時代のキリスト者の「教会時代」の出来事を語っています。ルカ書が書かれた時代はAD80年頃で、エルサレム教会がペラに移り、迫害の厳しさが増し、再臨の遅延問題もありました。ルカは主イエスの「終末の徴」のメッセージを具体のものとして語る必要がありました。主イエスは「教会時代」の到来と「迫害」の緊密性を語りました。ルカは「迫害」の真実を主イエスの言葉を用いながら、今を生きるキリスト者に励ましを与えています。教会時代にキリスト者は迫害を受ける。それは「証し」の時となる。これは主イエス然り(百人隊長の告白)、ステファノ、ペトロ、パウロもいます。キリスト教2000年の歴史に数多の「証し人」がいます。「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。」「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。」「忍耐(ヒュポモネー)(神のもとに留まり)によって、あなたがたの命をかち取りなさい。(魂を我がものとせよ)」私共は終末がいつ訪れても大丈夫です。常に目を覚まし、主に祈りを捧げ、いつでも神の前に立つ用意が出来ています。ハレルヤ!アーメン!何という喜び、主は勝利されました。(2013.11.17参照)「終末の徴」は何時の世も現れます。しかし、キリスト者には恐れはありません。「勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。」(ヨハネ黙示3:12)キリスト者は世に起こることを恐れません。永遠の希望があるからです。この希望をパウロ先生は「祝福された望み」(テトス2:13)と告白しました。再臨信仰の希望であり、すべての人々に救いをもたらす神の恵みと愛のことです。