7月9日(日)聖日礼拝

「聖書」

娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

見よ、あなたの王が来る。

彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。

わたしはエフライムから戦車をエルサレムから軍馬を絶つ。

戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。

彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。

(ゼカリヤ書 9章9~10節)

説 教 「見よ、あなたの王が来る」

主は「平和の王」として、エルサレムに凱旋されました。本日の御言葉は「新約聖書」の「エルサレム入城」にて預言の成就として引用されているものです。私共は本日の御言葉を通して、新約聖書の著者たちが、どんな思いでゼカリヤ書を用いたのかを知りたいと願います。そして「来臨の主」が「平和の王」であることに感謝を捧げましょう。ゼカリヤ書は新約聖書と関連が強い書です。新約聖書の中にはゼカリヤ書からの引用やゼカリヤ書への言及が70以上あります。初代教会の人々にとって、ゼカリヤ書は主を証しするものであったのです。本日のテキストである9章以下は第二部の始まりです。「第二ゼカリヤ」とも言われます。ここでは、神学論争には触れません。「第二部」は「メシア預言」です。三部構成になっています。「来るべき牧者なる王」「牧者なる王の受難」「シオンの究極的勝利」にて預言されています。この3つ目の「究極的勝利」は未だ実現していません。イエス・キリストが「真の王」として受け入れられずに、十字架上の死を遂げられたからです。2000年前に「ホサナ」と迎えた民が、「真の王」として迎えていたならば、「王の受難」を経験した後に「すぐに」再臨され、「シオンの究極的勝利」は起こったでしょう。「今は、恵みの時、救いの日」として神の愛の時として、「教会時代」(全ての民に福音を届ける)として存在しています。2000年前、何故ユダヤの民は主イエスを「正しく見る」ことが出来なかったのでしょうか。それは「メシア預言」を正しく受けることが出来なかったからです。本日の御言葉は「エルサレム神殿再建」後の預言と言われています。「残りの者」が神殿再建を果たし、「中だるみ」している最中の預言であると言われています。どのような時代であったかと言いますと、「祭司の支配」の時代です。「形式(本質を忘れる)時代」です。この神信仰の危うさの時代に、ゼカリヤは託宣します。「祭司であり預言者」でもあった彼は大胆に熱情をもって「メシア預言」を語るのです。これは初代教会の者に、私共にも「熱情が伝わる」預言です。また見事に預言通りの姿を主は生きられました。主はエルサレム入城の時に、「平和」のことを弁えない民のために泣かれました。「真の平和」を得ていないからです。主は最後の晩餐の時、「わたしは平和を残し、わたしの平和を与える」と言われました。私共は主を「王」として迎え「真の平和」を得るのです。