「聖書」
雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。
(イザヤ書 55章10~11節)
説 教 「わたしが与えた使命を必ず果たす」
私共は、先週の御言葉により、「平和の王」であるキリストを知りました。キリストはろばに乗り、「エルサレム入城」を果たされました。弟子である我々も又、ろばに乗られるキリストの後に従いつつ「平和の道」を歩んで行きたいと願います。その道を確実なものにするためには、唯一の秘訣があります。それが本日の御言葉です。10節は、「たとえ話」です。11節は、「たとえ話の解説」です。「雨や雪」の意味は、「神の言葉」です。「地」は「人の心(魂)」のことです。「神の言葉」は「人の心」を潤し、人の全ての必要を満たし、祝福します。神は常に人を祝福したいと願っておられます。本日の御言葉は具体的には「捕囚の民」であるイスラエルへの救いの預言です。それは御言葉通り実現しました。私共は、本日の御言葉に聴きつつ、「真の救い」「真の平和」を得る秘訣を手にしましょう。イザヤ書は時代により三部構成になっています。55章は「捕囚期の預言」の最終章となっています。本章はイザヤ書の後半において最も重要な章であり、「真に福音的な章節」と呼ばれます。「第二イザヤ」の締め括りでもあります。イザヤ書53章「苦難の僕」は有名です。「メシア預言」です。この預言が語られた後に締め括られた「御言葉」が54章「新しい祝福」であり、「第二イザヤ」最終章55章「御言葉の力」です。その54章には「あなたの子らには平和が豊かにある」と預言されています。イスラエルは「真の平和」を弁えていなかったので、主を十字架に架け、「平和」を失ってしまいました。現在もイスラエルは常に平和を求め続ける民です。私共はどうでしょうか?「真の平和」を得ているでしょうか。心を満たすことのない物に「金を費やし」、無駄に「労して」いないでしょうか。(55:2)イスラエルの民は「捕囚の民」でしたが、自由がなかったわけではありません。家が保証され、飲み食いも自由であったと言われています。ただ「精神的満たし」(神信仰)が保証されていなかったのです。その捕囚の時代に「新しい祝福」が託宣されたのです。民はただ信じれば良いのです。本日の御言葉は英語で、「shall succeed in the thing for which I sent it」となっています。「神の言葉」は確実に実現(成功)するのです。「神の言葉」は必ず、信じる者に「祝福」を与えるのです。「神の言葉」は全能の神の「愛そのもの」であるからです。私共が「真の平和」を手にする秘訣は、神の言葉に聴き、信じることです。