11月19日(日)聖日礼拝

「聖 書」

兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が、「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。

(テサロニケの信徒への手紙 一 5章1~6節)

説 教 「主の日は来る」

本日は「召天者合同記念礼拝」です。午後からは有志で「墓前礼拝」を執り行います。前に並べられている、お一人お一人のお写真を御覧頂きながら、在りし日を偲びつつ、今、私共に語りかけておられることを想像しながら、本日の説教を聞いて戴きたいと願います。本日はキリスト教暦で言うところの「終末主日」の前週になります。その関係で、本日の説教題は「主の日は来る」となっています。「主の日」とはキリストの再臨の時であり、裁きの時です。旧約時代からのユダヤ思想で語るならば、「主の日」とは主が聖者らを弁護し、正しい世界秩序を回復する時です。「聖者」は罪が贖われた人であり、主の祝福を受けている人のことです。(マタイ書25章)私共の誰も死を免れる人はいません。神の裁きを免れる人はいないのです。ですから、全ての人にキリストの救いが必要です。「主の日」は何時(「時」(クロノス)「時期」(カイロス))やって来るかは誰も知りません。(マタイ24:36)盗人が夜やって来るように突然来るのです。そのことは現実であり、事実であるにも関わらず(神の経綸を人は全て知ることはできない)、パウロ先生はテサロニケの人に、「主の日は、突然あなたがたを襲うことはない。」と言われました。何故でしょう。それは彼らが暗闇の中にいないからです。今、神に背を向け、罪の中を生きる者は、魂に欠けを覚えて「何か」で渇きを埋めようとします。しかし何をもってしても「魂の渇き」を癒すことはできません。魂は神の霊を求めています。神に背を向けている罪人は、救いを求めても、答えを得ることができない暗闇の中にいる「夜の子」です。的を外している人生です。お写真の一人一人を思い起こしましょう。柘植先生、高橋文蔵、久枝先生、梅本秀樹君、谷垣フサ姉、ウタ姉、武田てる子姉、向井兄、肱黒兄、堀兄、青木兄、生田姉、そして西川オハエ姉です。彼ら兄弟姉妹は「光の子」「昼の子」でした。私共に今も、希望を残されているからです。彼らの多くは、最期の言葉を残されました。「ありがとう」「感謝」「後の人を御願いします」「神様は本当におられます」彼らは晩年、「死に向き合いました」。そして、「愛と救いと希望」の中に入ったのです。その証拠は何でしょう。それは、週報に記された(一テサロニケ5:16~18)いつも神を前にして、「喜び」「祈り」「感謝」を捧げていたことです。魂の救いは「死」や「主の日」を愛する人との再会できる「喜びの日」「永遠の宴」に致します。私共も同じ道へと。