12月3日(日)聖日礼拝

「聖 書」
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

(コリントの信徒への手紙 一 1章3~9節)

説 教 「あなた方の間で確かなものとなった」

待降節第一主日を迎えました。「希望」の蝋燭に火が灯りました。この希望は何の「希望」でしょうか。この希望は「再臨のキリストが来る(アドベント)」という希望です。このことはキリスト者の「確信」です。本日の御言葉にも、そのことが記されています。「わたしたちの主イエス・キリストの現れ(アポカリフィシス「啓示」)を待ち望んでいます。」「キリストについての証し(マルテュリオン)があなたがたの間で確かなもの(ベバイオー)となった。」(1:6-7)この通りです。しかし皆様は、なお確信は得ていないと言われるでしょうか。それはそれで真実であるとも言えます。ここで語られる確信は人知を超える、聖霊の賜物(カリスマタ(1:7)(使徒2:38))を得て初めて悟ることが出来るものであるからです。私共は「聖霊の賜物」を戴く必要があります。本日はこの信仰の確信(希望)について御言葉の解き明かしを致します。(別紙「能力の秘訣」「活水」)を御覧下さい。私は今、数人の牧師と「バックストンの勉強会」をしています。今月のテーマは「能力の秘訣」でした。ここで語られる「能力」はキリスト者が歩む道での「力」のことです。バックストン師は本書の中で、弟子たちには二つの希望があったと語っています。一つは「聖霊のバプテスマ」であり、もう一つは「再臨のキリスト」です。師は、この二つの事柄は一つであると言われました。再臨のキリストを待ち望む「確信」は、聖霊のバプテスマを得て初めて真のものとなると言われたのです。この「聖霊のバプテスマ」という言葉は各教派によって捉え方が違います。私が会で、このことを指摘し、どう解釈すればよいか尋ねた時に、松浦師が「各陣地の主張は無しです。只、バックストン師の主張の中身に傾聴しましょう。」と言われました。至言です。師は分裂よりも「ひとつ」を大切にされました。バックストン師の「聖霊のバプテスマ」の意味は「聖霊の満たし」(エフェソ5:18)のことです。これは「活水」にて藤村師が詳しく解説をしています。私共は信仰の確信、再臨を待ち望む確信を得ることが出来ます。主の言葉を信じ、約束を待ち望むのです。必ず、聖霊は降られ、聖霊にて満たして下さいます。その時、私共は「聖霊が私の内に住み、永続する安息と、力と栄光とをもたらす」中にいます。この「力」は「再臨のキリスト」を待ち望む「確信」を与えます。この「確信」は希望です。この希望に生きる信仰者どうしは「キリストとの交わり」に入ります。愛し合い仕え合い、赦し合う交わりを生きるのです。この姿がアドベントです。