「聖 書」
あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主はゆるしてくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。
(ヤコブの手紙 5章1~20節)
説 教 「互いのために祈りなさい」
ヤコブ書は「希望の書」です。私共に「まことの」キリスト者の姿を映すからです。そして「まことのキリスト者の成長」と「まことの教会」の本物を語る説教であるからです。私共クリスチャンは「偽り」を語るべきではありません。神に聴き、神に問われる時、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と応答する誠実さが大切です。私共は未だに「痛みを抱える者」です。互いに祈りを必要としています。私共は自分をまことに愛するべきです。その意味は自分を「まことの救い」に入れてあげるということです。私共は神に対して、誠実であるならば、神に示された自分にある「罪と悪」が自分を苦しめていることに素直に首肯するはずです。全ての人は「罪人」であるからです。5章の冒頭に、「富んでいる人たち」への勧告が示されています。世の富に支配(洗脳)され、朽ちるものに頼る愚かさが示されています。これは世にある「罪の姿」です。富の欲は非人道の道を進みます。核兵器、原発のゴミ、児童労働、人身売買、等、枚挙にいとまがありません。あらゆる差別問題も然りです。私達は互いに罪(痛み)を告白し合い、互いのために祈るべきです。私共が、互いに互いの痛みを共有できる「環境」があるならば、「愛の共同体」が形成されるでしょう。その場所こそが「教会」です。ヤコブは、信仰は「実り」(救いの喜び)を得るものであると語り、信仰の実りは「愛の共同体」(教会)を建て上げる礎となると語っているのです。私共は主にあって「一つ」です。ヤコブは本書で何度も、「わたしの兄弟たち」「わたしの愛する兄弟たち」「兄弟たち」と呼びかけます。ヤコブは兄弟を愛してやまないのです。では「愛が実り」、「救いの喜び」にて満たされるためには何が必要なのでしょうか。それは、聖霊のバプテスマです。私共が「まことの天国」に入る基です。先週に「天国」とは何かということを語りました。「天国」は「義、平和、愛」です。具体的に言うならば、「世に神の正義があり、差別がない。己の心を罪と悪で責めることのない平和。十字架の愛と赦し。」この平和の実現が「天国」です。この「主の平和」を得る為には、「聖潔」が必要なのです。罪人のままでは「天国」に入れないのです。聖さが苦しみとなるのです。ですから私共は「罪を告白し合い、互いに祈る」必要があるのです。聖霊は「真理の御霊」です。私共は聖霊に満たされましょう。神は私共を聖霊のもとに連れ戻して下さいます。まことの喜びで満たして下さいます。魂を死から救い出し、多くの罪を覆います。喜びの賛美を捧げましょう。