「聖 書」
主はこう言われる。ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え。諸国民の頭のために叫びをあげよ。声を響かせ、賛美せよ。そして言え。
「主よ、あなたの民をお救いください。イスラエルの残りの者を。」
見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し地の果てから呼び集める。」
その中には、目の見えない人も、歩けない人も身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いなる会衆となって帰って来る。彼らは泣きながら帰って来る。わたしは彼らを慰めながら導き流れに沿って行かせる。彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。わたしはイスラエルの父となりエフライムはわたしの長子となる。
(エレミヤ書 31章7~9節)
説 教 「彼らを慰めながら導き」
本日の御言葉は「新しい契約」を語るものです。この「契約」のことを「新約」と呼びます。主イエスは、この預言の成就を「十字架の死」を通して成し遂げられました。(ルカ22:20)「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(主の晩餐)主は、このエレミヤの「契約」を御旨として受け止め、「贖いの死」を遂げられたのです。では、この「新約」は何を語るものであるか。それは「永遠の都」です。「平和の都エルサレム」です。「千年王国」です。先週、私は「偉大な大祭司イエス」を語りながら、「サレムの王メルキゼデク」のことも語りました。アブラハムが受けた神からの祝福は、「(永遠の)平和の都エルサレム」を与えられるものである。その祝福は、都を見る者に「神の栄光が現れる」証しが立つことを求められているものであると申しました。この祝福の証しは、現代にあっても未だ成し遂げられていません。私共も又、「まことの平和の都エルサレム」が与えられるように、祈りを合わせましょう。本日の御言葉は30章から始まる「回復の約束」の預言です。本日の語るイスラエルは「北イスラエル」を語っています。エレミヤは北イスラエルの者がアッシリアに滅ぼされ、捕囚の民にされている「裁き」の預言の成就を見ました。その彼らにエレミヤは「回復」と「新しい契約」を預言するのです。エレミヤは「神の言葉」に従順に従います。故に同胞から迫害を受け続けます。自分の国である「南ユダ」もまた、偶像礼拝に走り、神の言葉に聴き従わない「背信の民」であって、「滅び」に向かっています。(30:31~)においては、「イスラエル」「ユダ」の両方に向かって、「新しい契約を結ぶ日が来る」預言をエレミヤはします。読んで、お分かりになるように、これは「聖霊の働き」を語るものです。これは預言の成就です。「シナイ契約の更新(出エジプト記19章)」「心に割礼を施し(申命記30章)」この「新しい契約」は主の贖いの血によって立てられました。しかし預言の全ては成し遂げられていません。教会に「その姿の先取り」が見られるだけです。本日の御言葉は語ります。真の「新しい契約」の成就は、「目の見えない人も、歩けない人も、身籠っている女も、臨月の女」も共にいることができる「弱い者」が受け入れられている場所です。安堵し、喜びの涙を流す場所です。主が直接に慰め、導いて下さる場所です。そのところに集う会衆は、主の御旨に任せ、迷うことなく躓くことなく、主の道を行くことができます。この安息が「主の平和」であり、「新約」の成就です。