「聖 書」
しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。
(ヘブライ人への手紙 7章23~28節)
説 教 「完全に救う」
アーメン!感謝します。主は私共を「完全に救う」ことがおできになる方です。本日の御言葉が語る「完全に救う」とは如何なる意味でしょうか。これは一時の助けの事ではありません。「永遠の救い」のことです。本日の御言葉は7章の「メルキゼデクの祭司職」を語るものです。メルキゼデクは「永遠の祭司」と言われます。またメルキゼデクは「キリストの型」とも言われます。そのことを本日の御言葉は詳しく語ります。そもそも「祭司職」とは何でしょうか。又、このことを考えることは「宗教とは何か」を語ることでもあります。「祭司職」「宗教」とは「神と人との間に介在する壁や隔たりを取り除いて、生ける神の御座に通じる道を開き、人々を神に近づかせるもの」と定義できます。つまり、「救い」とは「神礼拝」のことです。主イエス・キリストは、「御自分を通して神に近づく人たちを、「完全に救う」ことがおできになります。」(7:25)これは神との関係が「完全に回復される」ことを意味します。私共は、神との関係が100%ならば、全てのことは解決です。私共に問題や困難が起こっても、神との関係は失われることはないからです。主は「永遠の大祭司」です。これは預言の成就です。「誓いの御言葉」です。「誓いの御言葉」は以前にも語りましたが、詩篇110編4節の御言葉の、「主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司メルキゼデク(わたしの正しい王)」のことです。主イエスは私共と神との関係を完全に執成し下さる「永遠の大祭司」なのです。この詩編を歌ったダビデは、常に御子を前に祈りを捧げていました。詩篇110編は「メシア預言」です。ダビデはナタンの預言にて、「ダビデ契約」を受けました。「永遠の王国の契約」です。「メシア的王国(千年王国)」のことです。私は先週にソロモン神殿を第二神殿と申しました。心に思っていたことが口に出てしまいました。本来はソロモン神殿を第一神殿、捕囚期後の神殿を第二神殿と呼びます。しかし私はダビデが「神の箱」をエルサレムに持ち帰り、モリヤの山の頂上のテントの中に置いたことが「エルサレム神殿」の始まりと解釈しているので、ソロモンを第二と言いました。歴史が語る第二神殿は70年に破壊され、「西壁(嘆きの壁)」が残されています。ユダヤ教の人々は生贄を今は献げません。神殿が無いからです。今は「祈り」が「いけにえ」であると解釈します。ダビデは「神の箱」を誰もが見える場所に置きました。霊的回復です。私共は主に額ずくことを通して神に立ち帰り、「永遠の愛」を回復します。