「聖 書」
更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。
わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
(ヨハネの黙示録 1章5~8節)
説 教 「やがて来られる方」
本日の御言葉は「収穫感謝日」主日に読まれるに相応しいものです。キリスト教暦の最終週は「王であるキリスト」(神の支配=御国)が語られることが常となっています。私は先週に「福音の喜び」について、お語りしました。これは、「救い」や「天国」の意味と内実について具体的にお話ししたということです。このことは「霊的な喜び」のことです。神と共に永遠にいることができる喜び、神に永遠に愛されている喜びのことです。これは別の言い方をすれば「収穫」です。主はペトロに「あなたは人間を漁る漁師になる」と言われました。宣教命令ですが、これは「あなたは人間を死から命へと招き入れる(収穫を得る)宣教者になる」という意味です。命へと招くことができる「宣教者」は自分が「命を得ている」ことは当然なことです。本日は、この「命」について詳しく説き明かしを致します。私は、信仰に「あなたの感覚(自己)」は関係がないとよく申し上げます。主権は常に神にあるからです。しかし私共には「自由意志」があります。「あなたの信仰があなたを救った」も真実です。しかし「あなたの信仰」は、あなたの思い込み(幻)ではなく、聖霊の働きであり、「恵み」なのです。(「恵み」は新約に155回も出てくる重要語です。)本日の御言葉6節を御覧下さい。「わたしたちを王とし、父である神に仕える祭司としてくださった」とあります。天国に行って「王となる」と言ってはいません。キリストを信じ、歩み始めた時から、「王とし、祭司として下さった」の意味として語っています。私達は「王」でしょうか?これは原意に忠実に訳すならば「王国」です。勿論、「神の王国」の意味です。これは、主が宣教の時に語られていた、「神の国」であり、「天の国」「御国」のことです。主はキリストを信じた時から、罪を赦し、罪から解放して下さいました。これは「天国の住人」とされたことを意味しています。このところを平たく言えば、救われた私共は「神の国ちゃん」「天の国ちゃん」「御国ちゃん」と呼ばれる者とされたと言うことです。そこには人々に、あの人は「御国」だなぁと言ってもらえる「平安と喜びと祝福」があることを意味しています。この「喜び」は「祭司」であることも関係しています。主に近づき、主と交わることが常にできる者である「喜び」です。それだけでなく、人々のために「執り成し」ができる幸いな祈りを捧げる「喜び」を持つ者です。主は「やがて来られる方」と言われました。再臨に備え、私共は、互いに祈り合い、愛し合い、仕え合うことを通して、「福音の喜び」を人々に届けましょう。