「聖 書」
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
(フィリピの信徒への手紙 4章4~7節)
説 教 「思い煩うのはやめなさい」
待降節第三主日を迎えました。「喜びの主日」です。教会の醍醐味は喜びです。信仰者の醍醐味も喜びです。しかし今、教会から喜びが失われつつある現状があります。世界の教会教勢の現状は「教会離れ」が進んでいます。キリスト教建国の国であるアメリカも又、同様のことが起こっています。ドル紙幣に「In God We Trust(我らは神を信ずる)」を表記する国に「教会離れ」が起こってきた原因は何でしょう。勿論、ニュースを見る限り、教会が政治に傾きすぎる傾向がある(右派支持)ことも要因の一つでしょう。しかし、アメリカの宗教調査の結果を見る限り、彼らは信仰を失ったわけではないことが読み取れます。教会を離れた人々は、教会に居場所がなくなった。楽しみや喜びが無くなったと語っています。キリスト教会は、積極的に貧しい人々に支援をしてきました。しかし今は、教会の礼拝出席が減り、慈善団体への寄付も減りました。活動を縮小し、または活動を休止する教会が増えてきました。コミュニティ(コイノニア)が枯渇してきたのです。私共の本質は「愛の交わり」です。本日の御言葉は、「主において常に喜びなさい」と勧めをしています。パウロ先生は、二人の女執事同士に争いがあることを察し、本日の「勧め」を為しました。教会には「主がおられる」。だから「大丈夫だ」と言われたのです。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。」命令形です。主が私共を守って下さっています。主は、「つぶさない」と言われる愛の神です。パウロ先生は獄中です。教会の中には「揉め事」があります。先生は二人の女執事を責めません。教会の中の問題は、皆で解決しなさいと勧めます。「真実な協力者よ」とは、私共、皆に対する呼びかけです。その意味は「共に軛を負う者」ということです。主は「わたしの軛は負いやすい」と言われました。相手を理解し、共に苦しみを担う愛がそこにあるからです。パウロ先生は「あなたがたの広い心を知られるようになさい」と言われました。「広い心」は「寛容」(エピエイケス)です。「御霊の実」です。主は私共に喜びと共に「寛容」を与えて下さいます。これは「まことの喜び」が可能にする「魂の状態」です。バックストン先生がケズィック聖会にて語られました。「クリスチャンの多くは今なお荒野にとどまっています。多くがそこで満足していることが私の心の痛みです。」荒野にとどまるのは未だ、自分がいるからです。私共は主に自分を明け渡し、「まことの王」をお迎えしましょう。主は私共を救われ失われることのない喜びで満たされます。主に感謝を捧げます。