5月25日(日)聖日礼拝

「聖 書」

…パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。…

使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」

(使徒言行録 15章1~2、22~29節)

説 教 「わたしたちの愛するバルナバとパウロ」

本日の御言葉は「第一回使徒会議」の決定(ドケオー)を告げるものです。教会の歴史の中で最も重要な一つの章です。救いは「恵みのみ」か、救いには「行いが必要」かと問う問題に対する協議の決議です。その答えは勿論、「恵みのみ」の決定が告げられました。私は「勿論」と申し上げましたが、本日の「決定」の意味は「教会の本質」を語るものであり、ただの「伝統」を語るものではありません。きわめて「現代的問題」を語るものでもあるのです。「使徒言行録」は「聖霊行伝」であると語ってきました。使徒言行録は「教会を語る」ものでもあります。つまり教会を語る以上、「聖霊を語る」と同義なのです。パウロ先生たちはアンティオキア教会の「割礼問題」をエルサレム教会に持ってきました。そこには「神の啓示」がありました。(ガラテヤ2:2)パウロ先生には11年ぶりです。先生は「神のみ」に従っているのです。先生たちが、エルサレムに到着すると、歓迎されました。そこで「割礼問題」を語り、自分たちの異邦人伝道の実りと「神が自分たちと共にいて行われたこと」を報告しました。異邦人が神の恵みにより救われた事実を語ったのです。エルサレム教会の中でも問題が紛糾して、使徒たちが協議しました。ペトロは協議の中で異邦人の救いを語り、「主イエスの恵みによって救われるは、異邦人も同じです。」と締めくくりました。ヤコブは決議しました。ヤコブはアンティオキアに手紙を書きました。「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。」(救いは恵みのみ)ここに「聖霊」の名が一番に記されています。22節に「教会全体と共に」と25節に「満場一致で」という言葉があります。これは多数決の意味ではありません。聖霊の働きに身を委ねるとき、私たちは「一致」することができることを語る言葉です。本日の御言葉を心に留めましょう。神はあなたを愛し、導き続けておられます。自己義認の愚に戻ることなく、神の恵みの下に留まり、聖霊の働きに身を委ね、クリスチャンの幸いな道を歩んでまいりましょう。その道を歩み通された聖パウロは、「この日」涙を流されたと思います。ヤコブの手紙に「わたしたちの愛するバルナバとパウロ」という文が添えられていたからです。使徒言行録では、この単元にのみ用いられた言葉です。福音書にも多くは用いられていません。最も多く「この言葉」を用いたのはパウロ先生です。続きにこうあります。「主イエスに身を献げている人たち」です。主が共におられる「共感理解」を使徒は示しました。愛を感じたのです。