1月7日(日)聖日礼拝

「聖 書」

主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる。

(イザヤ書 60章1~22節)

説 教 「とこしえの光」

主の年2018年が始まりました。今年も豊かな主の祝福が皆様の上にありますようにお祈り申し上げます。まず初めに、皆様に本年の「2018年教会標語」をお伝え致します。「主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる。」(イザヤ書60章19節)であります。この御言葉は2014年の「教会標語」の続きのものです。2014年のものは、イザヤ書60章の冒頭部である「起きよ、光を放て」でありました。(詳しくは2014.1.1を参照下さい。)ここで語られる「光」は「ヤハゥエの光」のことです。本年の「光」もまた同じく「神の光」のことですが、これは信仰者の心の「中」を照らす「神の光」を表しています。昨年、私共は神の御顔の輝きを仰ぎつつ「恵み」の中を歩ませていただきました。今年は、その「恵み」が「内なる喜び」にまで深化し、その「喜び」を外に向けて「発信」していくところにまで共に進みゆきたいと願っています。それは丁度、先週にお語りしたシメオンの「喜び」の預言の後に登場する女預言者アンナがキリストに出会った「喜び」を心の中に秘めつつ、救いを待ち望んでいる人々に告げ広めていく姿と同じです。それは具体的には如何なることかと言いますと、それは本日の御言葉に記された、「神があなたの輝きとなられる」ということです。ここで語られる「あなたの輝き」には、二つの意味があります。一つは、私共が「神の輝きを見る」という意味です。もう一つは、神の光によって、私共が「輝きを放つ」という意味です。ここでもう少し、その意味を詳しく伝えておきます。私共が放つ「輝き」とは何なのかということです。本日の御言葉の輝きは「神の輝き」に他なりませんが、主の到来を経験しているキリスト者にとっては、当時語られた意味を越えて、別の「輝き」を知る者とされています。それは神の愛の輝きです。イエス様には常に、神が内住されていました。イエス様は神と一つであられました。私共もまた、神と一つとされている「神の子」であります。ですから私共も神の愛の輝きを放つのです。それは自己愛からの愛ではなく、見返りを求めない無償の愛の行為から放たれる「輝き」のことです。人は人から与えられた愛を財産とします。その愛は永遠に残り、与えられた人の「とこしえの光」となります。私共の人生は、イエス様が教えられた如く、「受けるより、与える方が幸い」を生きていきます。愛の賛歌(一コリント13章)に記された命を見返りを求めず、与える人生を歩んでいくのです。本年の御言葉を、その出発に致しましょう。