「聖 書」
「十戒」
- あなたは、わたしのほかに、何もの をも神としてはならない。
- あなたは、自分のために、刻んだ像を作ってはならない。
- あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
- 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
- あなたの父と母を敬え。
- あなたは、殺してはならない。
- あなたは、姦淫してはならない。
- あなたは、盗んではならない。
- あなたは、隣人について、偽証してはならない。
- あなたは、隣人の家をむさぼってはならない。
(出エジプト記 20章1~17節)
説 教 「十戒」
四旬節第三主日を迎えました。この時期には「神殿粛清」(宮清め)の御言葉がよく読まれます。四旬節の歩みの中で、自らの「罪」(ハッター)が示され、立ち帰り(ショブー)の恵みに浴しつつ、神の「聖」に健全な「畏れ」を抱く時期を過ごしているからです。本日は、その神の「聖」なることを更に具体的に御言葉に聴くために、「十戒」から神の言葉を聴くことと致します。「十戒」は言うまでもなく、アーク(契約の箱)に収められた石板二枚に「神御自身が記した」シナイ契約の「内容」にあたるものです。「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います。」(19:8)と誓うイスラエルの民に神御自身が石板に「十戒」を記されました。トーラー(律法)の基となるものです。聖書は律法と預言書から成っていますが、何故、聖書が権威があるかと言うと、神御自身が著者であるからです。その石板が与えられた時の様子が「十戒」の意義をよく伝えています。「民はモーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」」(20:19.20)(この時に語られたことは、十戒の意義をも含意しています。)そうです。御言葉が語るように、私達に十戒が与えられたのは、人の前に神を畏れる畏れをおいて、「罪を犯させないようにするため」でありました。しかし私達は誰もが知っています。律法をすべて守ることができない自分がいることを。神を畏れない自分がいることを。神はそのすべてを知りながら、民と契約を交わしました。民を愛する「熱情の神」であったからです。私達は四旬節のこの時「十戒の意義」を知らなくてはなりません。私達に十戒が神から与えられた意義は、「神の聖さと、その御心を知る」ためです。「神の深い愛と、真実な愛を知る」ためです。そして、「自分自身を知る」ためです。律法によって示された自分は「罪」によって死にゆく姿をしています。私達には救いが必要です。このところの詳しくはガラテヤ書の3章に記されています。「こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。」(3:24)律法「十戒」は私達に罪を示します。しかし私達には熱情の神であるキリストが、その罪を贖い、聖なる命へと招いて下さっています。