11月18日(日)聖日礼拝

「聖 書」

その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く。国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるでろう。お前の民、あの書に記された人々は。多くの者が塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。

(ダニエル書 12章1~3節)

説 教 「守護」

いよいよ「終末主日」が近づいてまいりました。キリスト教暦の最後の時です。この「時」に読まれる聖書の箇所は「最後のこと(タ・エスカータ)」が記されたところです。本日の御言葉も又、然りです。ダニエル書は「諸書」に位置されている「預言の書」です。「黙示」の表現を用いながら、信仰者に預言をしています。特に「終わりの時」に迎える「信仰者」の取り扱いについて、神の言葉を語っています。もともと「黙示」はアポカリプシスであって、「覆いをとる、暴露する、啓示」の意味です。つまり「黙示」は「啓示」の意味合いで聖書では語られているのです。では本日の御言葉は、如何なる神の「啓示」が与えられているのでしょうか。それは「守護」です。それも「終わりの時」の守護のことが啓示されています。「最後のこと」については、多くの聖書の箇所で語られていますが、本日の御言葉の関連で言えば、マタイ書25章に記されたイエス様の言葉、「この者どもは永遠の罰を受ける」やヨハネの黙示録12章7節、「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。」を合わせて読んでおけば、本日の御言葉の理解の助けになるでしょう。本日の御言葉が語ることは明瞭です。私共信仰者にとって、終末は「救いの日」であるということです。キリスト教の教理の「終末論」が「救済論」と関連して語られることが自然の道理であることの所以です。では「終末の備え」として、信仰者は安穏としていていいのかと言えば、それは否です。私共キリスト者は「終末」に備えて「目を覚まして」いなければなりません。本日登場するイスラエルの守護天使であるミカエルが竜(悪魔)を足の下に置くまでは、私共には悪魔との戦いが常にあり続けているのです。本日の御言葉を御覧下さい。「その時」と記しています。「終わりの時」です。「その時」まで「苦難が続く」と記されてあるのです。この苦難とは「悪魔との戦い」のことです。ダニエル書が記された時代、ヨハネの黙示録が記された時代は迫害の激しかった頃です。信仰を最後まで守り通すことが、困難を伴う時代でありました。にも拘らず、キリスト者は爆発的に増えていったのです。それは何故だったのでしょうか。それは「終わりの時」への希望を持っていたからです。私共はどうでしょうか。今は迫害はありません。しかし今も尚、悪魔との戦いは有形無形の形で存在しています。しかし既に主は悪魔に勝利して下さいました。私共は「ただ信じて」確信を持って、最後まで歩んでいけるのです。ハレルヤ。