1月19日(日)聖日礼拝

「聖 書」

賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に〝霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には〝霊″によって知恵の言葉、ある人には同じ〝霊″によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ〝霊″によって信仰、ある人にはこの唯一の〝霊″によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の〝霊″の働きであって、〝霊″は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

(コリントの信徒への手紙 一 12章4~11節)

説 教 「全体の益となる」

「霊の祝福を生きよう」の第二ステップです。本日の御言葉の中心は「賜物」ではありません。本日の中心は「全体の益となる」です。12章1節に「霊的な賜物」という言葉が出てきますが、「霊的な人たち」と訳することも可能です。パウロ先生は本日の御言葉を語る前段として、「霊の祝福を受ける人々」に是非知っておいてほしいと語ります。本日の御言葉で先生が語りたい中心は、教会に集う皆さん、「あなたが生かされてください」ということです。私共が教会に集うときに、集まる一人一人に「違う賜物」があることに気づきます。これは勿論、教会に限ったことではないでしょう。私が語る「賜物」は「霊的な賜物」(スピリチャルギフト)のことです。ですから「能力」のことではありません。先生は「教会の深み」を語っておられます。本日の第二ステップは「同じ体に属する者となる」です。「同じ体」とは「教会」であり「キリストの体」のことです。「教会」は「天国の先駆け」です。ですから教会標語の第二ステップは、私共が「天国に属する者となる」の意味です。三位一体の神は、私共を霊的に祝福するために、「賜物:同じ霊」「務め:同じ主」「働き:同じ神」を与えられます。それも「わたしが生かされる」賜物が与えられます。私のオリジナルが最大限に尊重されるのです。11節にて「“霊„は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださる」と語る(ディアイレオー)は、「別々に与えられる」の意です。(“霊„は「三位一体の神」を表します)私共には「違いがあってもいい」の意味ではありません。私達一人一人に豊かな「霊的体験」があり、一人一人に「自分の口で語る証し」があるのだという意味です。第一ステップは「祈り」でした。祈りは応答ですから「苦き杯」という「賜物」もあるでしょう。本日の「賜物」にも「いりません」というものもあるかも知れません。しかし全て受けるのです。あなただけの「霊の祝福の体験」が待っているからです。この体験は、あなたを不動の「天国の住人」とします。主を信じ主に信頼する人生は確実に、あなたを「同じ体に属する者」とするのです。私共が「天国の住人」とされることは「全体の益」となります。あなたが「霊の祝福」を受け、その恵みは教会を「天国」とするのです。私共は「権威」を手にしています。私共の思いと働きは「主のもの」です。私共は「主と一つ」です。ですから私共の「霊の祝福」は「霊の働き」となり、奇跡(しるし)を見る幸いを得るのです。「賜物」「務め」「働き」に生かされ天国に生かされる幸いを共に歩みましょう。