「聖 書」
あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や、“霊„によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。
(エフェソの信徒への手紙 3章2~6節)
説 教 「同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となる」
2025年が始まりました。「教会標語」をお知らせします。(別紙)本日の御言葉の通りです。本年の目標を一言で申し述べるならば、「霊の祝福を生きよう」と言うことです。一言で言うならば簡単なのですが、これが何を語る事かがピンとこない方のために具体的に語ります。実を言うと、「霊の祝福を生きよう」は具体的なことなのです。本日は「公現日礼拝」です。三人の博士たちは「星」を頼りに、幼子イエスのところに辿り着きました。そしてメシアに礼拝を捧げ、贈り物を致しました。その後、彼らは「自分たちの国」に帰っていったのです。彼らのその後の人生はどうなったのでしょう。これは彼らだけではありません。羊飼いたち、シメオン、アンナ、メシアに出会った彼らのその後の人生は如何なるものだったのでしょうか。これは想像の域を出るものはありません。神は何故、聖書に彼らを登場させたのか。それも「美しい場面」です。世界で初めのクリスマスは、マリアとヨセフの二人だけの「静かなクリスマス」でした。そこに羊飼いたちがお祝いに駆け付けました。二人は、その光景を神の「顕現」(エピファニー)として見たのではないでしょうか。その後に続く三人の博士、シメオン、アンナの出来事もまた、イエスが「神の子」である「顕現」です。彼らはイエスがメシアである「顕現」を、神に見させていただく恵みに浴していたのです。私共も又、昨年多くの「神の顕現」を目にすることが出来ました。私共は三人の博士と同じです。「地上の旅人」です。「救い」(メシア)を求め、「星」を頼りに、地上をさまよっていました。私共は主イエスに出会いました。博士たちも同じです。博士たちと私たちの信仰を重ねて言うならば、同じではないかもしれませんが、「新しい信仰の旅」が始まったのは確実です。メシアに出会うことは、今までの「同じ地平」に立っていることはできないからです。メシアとの出会いは人生を変革させるからです。具体的な話に戻りましょう。主イエスに出会うことは「顕現」に出会うことです。主イエスを受け入れる者は「霊的命」に入ります。神との交わりの生涯が始まります。「約束されたものを受け継ぐ者」とされます。今まで見えなかった世界が開かれてきます。祈ります。賛美します。感謝します。神の秘められた計画を知る者とされます。神を「アバ、父よ」と親しく呼ぶようになります。一言で言うならば神と親しく交わることが「霊的祝福」のことです。私共が神に救われたことは奇跡です。この奇跡を「霊的豊かさ」と「喜び」をもって隣人にもお伝えいたしましょう。