11月12日(日)聖日礼拝

「聖 書」

兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。

主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも、主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

(テサロニケの信徒への手紙 一 4章13~18節)

説 教 「主の言葉に基づいて」

私共は「教会の始まり」を経験しています。テサロニケの人々も同じでした。テサロニケの人々は目に見えないことを信じていました。私共も同じです。「神」「復活」「天国」「永遠の命」どれも見ることはできません。しかし、神が真実である以上、どれも「ある」のです。教会成長は、これらのことを信じる信仰にかかっています。テサロニケの信徒の人々の前には、誠実な霊の歩みと共に、迫害と殉教がありました。彼らは霊的成長を遂げながらも、愛する家族や仲間を失うという経験をしました。彼らはまだヨチヨチ歩きのクリスチャンです。愛する者はどうしているのか、主イエスの希望に与かることができているのかという不安を持つ人たちもいました。パウロ先生は、彼らに語りました。「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。」「ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。」「主の言葉に基づいて」なのです。パウロ自身の言葉ではありません。彼らはパウロ先生の言葉を「神の言葉」として受け入れる者でした。ですから尚更、先生には真摯に御言葉に聴く魂が求められました。先生は「携挙」(ラプチャー)のことを語られました。これは定式化した予言ではありません。確かな希望であり、事実なのです。(4:16~17)「主御自身が天から降って来られます。…キリストに結ばれて死んだ人たちが最初に復活し、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に「雲に包まれて」(シャハイナグローリー)引き上げられます。」この「引き上げられます」が(ラプチャー)です。ギリシャ語で(ハルパゾー)、ラテン語で(ラピオ)です。この言葉は聖書によく登場する言葉です。先生の「第三の天まで引き上げられた」(二コリント12:2)も(ハルパゾー)が用いられています。他にも(エゼキエル11:24)(列王記上18:12)(列王記下2:16)また(使徒8:39)にも見られます。死からの復活を信じるためには、(ゼカリヤ14:5)や(マタイ27:52)(ヨハネ11:11)を読めば悟りが与えられるでしょう。しかし最も大切なことは信じる心です。主イエスのところに引き寄せられるように人々は来ました。本物の愛の教会、互いに励まし合う教会にも人々は、引き寄せられるでしょう。そこには何があるのか。命の真実です。主は昇天される時、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言って下さいました。(ラプチャー)の原意は「奪い取る」です。私共が如何に弱く乏しい者であっても、「主の言葉」は永遠に変わらない。私共は、引き上げられます。