「聖 書」
「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
(ルカによる福音書 21章5~19節)
説 教「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」
いよいよ次週は「終末主日」です。本日の御言葉の「命をかち取りなさい」は直訳すると「あなたの魂を自分のものとしなさい」となります。意味深な言葉ですが、このテーマは聖書が一貫して語る「救い」を意味しています。本日の御言葉の中で、主イエスは「終末」のことを語られていますが、語られたことは目新しいことではなく、旧約聖書が語り続けてきたことです。終末の出来事はエゼキエル書38章に、その様子が描かれています。主は終末を恐れなさいと語ったのではありません。「命をかち取りなさい」と言われたのです。前節には「やもめの献金」が記されています。「神に自分のすべてを献げる」命の大切さが語られています。先週に私は、私共キリスト者は「神の神殿」であると語りました。主は本日の御言葉で、目に見える神殿に心を奪われることなく、自分の中にある「神の神殿」を守りなさいと語っておられるのです。主は御自分の「神殿」のことも思っておられます。主は「宮清め」の時、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる。」と言われました。その言葉通り、主は「復活」されました。週報の挿絵を御覧下さい。「ひこばえ(切株の芽)」です。これは(エレミヤ23:5)(イザヤ11:1)に記された「若枝」(ナザレ)のことです。この若枝はキリストのことです。「残りの者」(レムナント)切り株、聖なる種子(イザヤ6:13)「残った羊」(エレミヤ23:3)のことも意味しています。まことの神を信じ、救いの道を行くことは困難を覚えることもあります。主イエスの福音が届かない時もあります。しかし困難や迫害に遭っても、私たちは守られます。周りのことに惑わされることなく「自分の魂の救い」を守りなさい。あなたの魂を救うことができるのは「あなた」だけです。私は、このことについて先週に出会った方のことで思わされたことがあります。全国を旅をして歩いておられる方でした。寺社仏閣、教会の草引きをして生活をしておられます。生活困窮をしておられましたので、援助を申し出ましたが断られました。決して無理をしているのでなく、「自分の人生に責任」を持って、強く生きておられることを感じました。私は、その方に出会って、自分の人生は最終的に、自分が責任を取らなくてはならないのだと思ったのです。私たちの魂は、誰にも支配されてはなりません。「私の魂」は「忍耐によって」(ヒュポモネー)(神のもとに留まる)、誰にも何事にも支配されることなく「命をかち取る」ことができます。本日は「自分の命」のことを深く想い、命を守り堅持して下さる主イエスの愛を思う時として下さい。