11月17日(日)聖日礼拝

「聖 書」

なぜなら、キリストは、唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。聖霊もまた、わたしたちに次のように証ししておられます。
「『それらの日の後、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。

(ヘブライ人への手紙 10章11~18節)

説 教 「永遠に完全な者」

本日の御言葉は、「わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。」と語ります。エレミヤ書31章「新しい契約」の引用です。律法とは、愛であり、キリストのことです。この意味することは、私共の「完全な救い」の保証のことです。私共にはキリストが必要です。日々に、御言葉が必要です。前節の御言葉を御覧下さい。(10:13-14)「その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。」「聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさった」は以前にも説き明かししたように、「聖なる者とされた」(神的受動形)私共のことです。主が、天において常に「執り成して」いて下さっていることは、日頃から語ってきたことです。その事実は、このところの御言葉です。私共は「主の贖い」により「聖なる者」とされました。そして「永遠に完全な者」とされました。しかし、私共には未だ、「完全な者」の意識も内実もありません。それは事実です。この「完全な者」は保証であり、確実な「神の約束」です。主は天において、常に、私共の祈りを聴き、執り成し続け、私共が「完全な者」となる、その日まで、敵を御自分の足台としてしまうまで「待ち続けて」おられるのです。キリスト者には3つの「救いの段階」があります。「救われたとき」(新生)「救われて、キリスト者の生活を送るとき」(聖化)「主が再臨されるとき」(栄化)です。主は忍耐して待ち続けておられます。福音を未だ聞いたことがない者に、福音が届けられることを。私共キリスト者が、新生、聖化、栄化へと成長し、天国の住人の喜びを手にすることを。私共の救いは「完全」です。主の十字架の業が「完全」であるからです。私共は神の愛に完全に信頼します。私共は、天国を手にしています。私共の心には聖霊が内住して下さっています。私共は心の中の罪に打ち勝つことができます。私共の心の中に「律法」が置かれているからです。私共の心の中にキリストの霊がおられ、心の中に「神の愛」が書きつけられているからです。私共は、永遠に「完全な者」として存在することができます。主の日が来て、主が再臨されるとき、サタンは敗北します。キリスト者は「完全な者」として、主と相まみえます。聖霊は今この時も証ししておられます。「もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。」「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)永遠に完全な者とされる。感謝です!