「聖 書」
更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位を持って歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。
(ローマの信徒への手紙 13章11~14節)
「救いは近づいている」
アドベントに入りました。キリスト教暦は「円環」です。本日の御言葉は、先週の御言葉の「あなたは今日わたしと一緒に楽園(パラディソス:天国)にいる」の続きにもなっています。また以前にも語りましたように、本日の御言葉は「待降節第一主日」に伝統的に読まれてきたものです。そこで、本日の説教題である「救いは近づいている」ですが、以前、同じ御言葉の説き明かしをした時と同じ題です。(2019.12.1参照)これは2019年の説教を補強しようと考えたからです。同じ御言葉を通して、更に深みを目指すことを示されたからです。その「深み」とは「主イエス・キリストを身にまとう」の意味を更に「悟る」ことです。2019年の説教の結びで、私は、「降誕節(待降節)は古い自分に死に「キリストにおける霊なる新しい生活」を始める時として備えられています。古い自分(夜は更け)を悔い改め、新しい命(日)を共に生きましょう。」と語りました。この具体が「キリストを着る」なのです。この意味をよく表した讃美歌があります。讃美歌41番3節です。「罪咎に汚れし衣、みな脱ぎ捨て、主より賜る晴れ着をまとい、御前にぞはべらん」現代訳で言いますと、「キリストが、私と一体になり、私の罪を御自身の罪とし、御自分の聖さと力を、私のものとして下さる。こうして、私共は罪に汚れた裸の恥を覆うために神から与えられた恵みの晴れ着をまとうことが出来る。この恵みに浴する者は、神の前に立つことが出来る。」の意味です。主イエスと共に十字架に架けられた「良い罪人」は主イエスの「贖い」のゆえに、「晴れ着」を着ることが出来ました。全ては「恩寵」です。アドベントの佳き日、私共は神の「恩寵」の前に立っています。「待降節第一主日」に読まれる御言葉に(ルカ21:25~36)もあります。「人の子が来る」「身を起こして頭を上げなさい」「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」「あなたがたは、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」アーメン!私共は「光の武具」を身に着け、祈りましょう。そして、もう一つの御言葉は(マタイ21:1~9)「エルサレム入城」です。私共にとって「主の日」は恐れの日でなく、「ホサナ」と主を迎える日です。キリストを着るとは主に倣う以上のことです。私共が「キリストの香り」を放つ者とされる。これは「救いは近づいている」の証しとなるのです。私共は更に主と一つとされましょう。