「聖 書」
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃたのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。
(マルコによる福音書 12章28~34節)
説 教 「神の国から遠くない」
聖書に記されている「最も重要な掟」は「神を愛する。人を愛する。」ということです。これがイエス様の答えでした。この答えは、律法学者の質問から始まっています。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」何故、律法学者は主に、この質問を為したのでしょうか。本日の御言葉には、「イエスが(時の宗教権威者に対して)立派にお答えになったのを見て」と記されています。この記事は並行記事があります。マタイ、ルカ書です。そのところにはイエスに質問をした理由は「試す(ペイラゾー)」為であったと記しています。このところの解き明かしは以前の説教を参照下さい。(2012.11.4参照)マルコ書は明らかに二書とは違う編集をしています。マルコは律法学者の口を通して、主の十字架の深遠を語ろうとしているかのようです。その証拠に、主は律法学者の返答に、「適切な答えをしたのを見た」と御言葉は語っています。そして、続けて、主の口を通して、「あなたは神の国から遠くない」とも語っているのです。「神の国から遠くない」とは如何なることなのでしょうか。そのことを知る為に、律法学者の返答を見てみましょう。彼の返答は主の答えの繰り返しのようですが、それは違います。主は、「(聖書の)掟の第一」は、「唯一なる神を愛すること」(申命記6:5)、そして、「隣人を自分のように愛すること」(レビ記19:18)であると答えられました。第一はと問われたことに対して、この二つのことは「一つ」のことであると言われているのです。その理由は、神が私を真実に救う「唯一なる主」であるから、掟は「神への感謝の発露である愛」となり、神の民の人生は、神を愛し、人を愛す生涯となる。この主の意図を彼は見事な「返答」として、「適切に答えて」いるのです。御言葉を再度お読み下さい。イエス様は彼の「適切な答え」に、「あなたは神の国から遠くない」とお返しになりました。彼の質問の内側に「永遠の命を得たい」気持ちを汲み取られたのです。しかし主の答えは「遠くない」でありました。何が足りないのでしょうか。それは御言葉は「知識」だけではなく、「実行」が大切なのであるという意味が、そこにあります。私共も同様です。御言葉を知識で知っているだけでは意味がありません。神に出会い、神が救ってくださる体験を為し、十字架の贖いを信じて、その愛に感謝していく人生を歩んでいく。それは感謝の人生、愛の人生です。その人生こそが、「神の国そのもの」です。教会人はキリストの香りを放ち、天国の人生を歩み、神の国を広げゆく者なのです。