12月17日(日)聖日礼拝

「聖 書」

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊„の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの“霊„も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。

(テサロニケの信徒への手紙 一 5章16~24節)

説 教 「いつも喜んでいなさい」

待降節第三主日を迎えました。「喜び」の主日です。本日の御言葉は待降節第三主日によく読まれる配当句です。5章全体に目を配ると、「主の日」を待ち望むことが記されています。そして、「希望」(5:8)「平和」(5:13)が記されてあって、本日の「喜び」につながっています。本日は、その関連をよく味わいながら御言葉に聴きましょう。「いつも喜んでいなさい」この句は愛唱聖句にする方も多くおられる有名な句です。しかし本来の深い意味を知る方はどれほどおられるでしょうか。この句は、楽天家のキリスト者を語るものではありません。只のお人よしを語るものではないのです。本日の御言葉の意味を知るために、親しくお交わりをしていただいている松浦牧師夫妻の証しをお聞きください。松浦先生のお宅に初孫が誕生しました。重度の障がいのある女児でした。長女姉が娘のことを心配し、専門医師にかかり、障がいが判明した時に、すぐに母みち子先生に連絡をしました。不安で不安で仕方なかったからです。その時に、みち子先生の娘に掛けた開口一番は、「あなた良かったわねぇ。宝くじが当たったのよ。」でした。なんと深く、愛のある言葉でしょうか。私共に起こる現実は変わりません。しかし主は、常に私共に良いものしか与えられません。みち子先生の言葉は楽天家のものではなく、安い慰めではなく、「真実な言葉」です。本当に初孫姉は宝物でありました。その後の長女姉を更に良い「証し人」に成長させてくれた源は初孫姉です。21,22節を御覧下さい。「すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。」「あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」私共は多くの過ちの中に生きています。嘘の情報に流されます。私共は主を信頼し、祈りつつ、何が「良いもの」で、何が「悪いもの」であるかを悟る聡明さが必要です。その後、みち子先生は長女姉と初孫姉と共にありました。励まし、慰め、愛を伝え続けました。そこには希望が生まれ、平和が生まれ、喜びが育まれていったのです。アドベントはイベントではありません。神に真の自分の姿を知らされ、只々、主に罪を赦され、常に霊である主に満たされながら、希望である再臨のキリストを待ち望む時です。常に喜びましょう。絶えず祈り、どんなことがあろうと主を信頼して、感謝しましょう。私共に、どんな欠けがあろうと、愛の神は、私共を「聖なる者」として下さいます。神は真実な方ですから、私共に何があろうと守り導き、約束を成し遂げて下さいます。