「聖 書」
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じられたとおり、妻を迎え入れた。
(マタイによる福音書 1章18~24節)
「妻を迎え入れた」
アドベントキャンドルに4本の灯が点りました。「愛の主日」です。私共が迎えるクリスマスは「神からの無償の愛」イエス・キリストが届けられる喜びの日です。では、クリスマスが語る「愛とは」何でしょうか?それは、本日語られる御言葉が、その意味を深く深く示しています。本日の御言葉はヨセフへの御告げ物語ではなく、「イエス・キリストの誕生の次第」です。尚、本日の御言葉を清かに悟るように、以前の説教も御参照下さい。(2010.12.19、2013.12.22、2016.12.18)イエスの父ヨセフは母マリアと婚姻関係にありましたが、未だ関係はありませんでした。しかしマリアは身ごもりました。「聖霊の御宿り」です。その事実は周りに知られました。婚約者ヨセフは縁を切ろうと決心しました。マリアのことを殊更に表沙汰にすることを望まなかったからです。これは「正しい人」ヨセフの正しい判断でしょう。しかし「神の経綸」は人の計画を超えるものです。神は主の天使を送り、ヨセフの夢の中で、マリアの胎の子は、不貞の子ではないことを告げました。そして胎の子は「聖霊の御宿り」であることを告げたのです。この後のヨセフの言葉は、ありません。しかし24節に「主の天使が命じた通り、妻を迎え入れた」とあることから、ヨセフは神の御言葉を信じ、マリアの言葉を信じて、「神の命に従った」ことが分かります。この判断は、夫婦共なる信仰の決断であったでしょう。マタイ書には、マリアへの御告げとマリアの言葉は記されていません。しかし、これから二人が歩む道のりが誹謗もある厳しく茨の道であることは誰もが想像に難くないでしょう。しかし夫婦は沈黙の道を歩んだのです。ただ主の言葉を信じて。主の降誕の恵みは夫婦の信仰の賜物です。しかしクリスマスは彼らの信仰を讃えるものではありません。マタイ書はクリスマスの意味を明確にして、始めに「イエス・キリストの系図」を配しました。「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」アブラハムにおいて地上の諸国民が祝福される。(アブラハム契約)メシアはダビデの家系から生まれる。(ダビデ契約)神は(メシア預言の)約束をイエスの降誕を通して成就されたことをマタイはまず語るのです。そしてイエスの誕生の次第はダビデの子ヨセフが神と養子縁組をしたことにより預言が成就され、「インマヌエル」は愛であることを告げているのです。愛は神と人が、人と人が共にあることです。