12月21日(日)降誕日礼拝

「聖 書」

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じられたとおり、妻を迎え入れた。

 (マタイによる福音書 1章18~24節)

説 教「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」

皆様クリスマスおめでとうございます。本日はマタイ書の「イエス・キリストの誕生の次第」を通して、クリスマスの喜びの意味を嚙みしめたいと存じます。説教題にあるように「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」にはマタイの大切なメッセージが込められています。「ダビデの子ヨセフ」には「ダビデ契約」である「永遠の王であるメシア」の家系の意味があります。又、1章16節の家系図の中にある「マリアの夫ヨセフ」の記事が意味する「血筋」の断絶(エレミヤ36:30)は、「妻マリア」の聖霊の宿りを通して、預言の成就がなることを語っています。ヨセフは正しい人であったので、ひそかに縁を切ろうと決心していました。そこに主の天使が夢の中に現れ、前述の言葉を言うのです。「恐れずに」は(フォベオマイ)で、不安やパニックを意味します。この所は直訳すると、「恐れないでマリアを受け入れなさい」となります。これは信仰の飛躍が期待されています。自分に従うか、神に従うかの決断です。これはモーセを失った後に、ヨシュアに掛けられた主の言葉、「強く、雄々しくあれ」の「雄々しく」(エマーツ)と同じ意味です。「恐れるな」の励ましの言葉です。(ヨシュア記1章)「主が共にいる」の宣言でもあります。私は教会経営の中で窮乏の危機に立つ度に、「思い悩むな」(メリムナ)と主から言われます。心が二心になるなの意味です。(6:24)「畏れ」には「エウラベイア」があります。「神への畏れ」です。「エウロゲオー」ならば「賛美する」です。神にのみ「信頼」を置くときに、私共は主が共におられるので常に大丈夫なのです。21節に「この子は自分の民を罪から救うからである」と告げられています。「自分の民」とは「永遠の王国」の王と民の預言を語っています。私共は永遠の王国の民です。主に、不信仰の罪を消し去っていただき、クリスマスの喜びで満たされましょう。マタイは旧約の預言の通りのメシアが来られたことを告げました。その方は「真の王」であり、「インマヌエル」です。「おとめ(処女)が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」「インマヌエルと呼ばれる」を直訳するならば、「神は私達の間に共におられると(彼らに)呼ばれる」となります。(彼ら)とは私達キリスト者のことです。主イエスは今もイエスを救い主と信じる私共の「間に」おられます。主の臨在が常に、ここにあるのです。「インマヌエル預言」は人間の闇(不安・恐れ)を取り除く「神の愛の宣言」なのです。主イエスの到来は「解放と喜びと救い」の「永遠の保証」なのです。ヨセフの受け入れは私共の救いの雛型なのです。