12月24日(日)降誕日聖日礼拝

「聖 書」

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。…その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは神の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。…律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

(ヨハネによる福音書 1章1~18節)

説 教 「この方の満ちあふれる豊かさの中から」

皆様、クリスマスおめでとうございます。蝋燭のすべてに火が灯りました。週報の挿絵も又、大きく蝋燭の火が灯されています。この光は、「光は暗闇の中で輝いている」(1:5)ということを象徴しています。皆様の心の中に、世界中の人々の心の中に「キリストの愛の光」が灯されますように、お祈りします。今年の御言葉はヨハネ書です。何度も味わって参りました。本書の中で「ロゴス論」が論じられていますが、これは難しい神学を語るものではありません。私共が今、お出会いしているキリストは神であり、先在され、言(愛の言葉にて交わりを為される神)であり、光そのものです。この神と交わりを為したヨハネはキリストを「言」(ロゴス)と信仰告白したのです。その意味は、「すべての創造の源」であるということです。この「創造の源」は「愛そのもの」です。ですからキリストの「言葉と業」には神の力と愛が存するのです。今年は東牧師のトラクトを用いて、広くクリスマスの案内を配布しました。このトラクトに、本日の御言葉の今語りました意味が簡潔に記されています。又、ゆっくりお読みください。そのトラクトの中で先生が直接に神と交わり、喜びで満たされた体験が記されています。この出会いの体験の喜びが、クリスマスの光の意味です。私共は言葉に生かされ、言葉に傷つきます。言葉には、その人の内面(人格)があるからです。いじめや差別は、その人を否定します。殺人と同等です。愛する言葉は、その人を生かします。永遠を支える力になります。主イエスは「言」です。主イエスは私共を生かす言葉を語り、私共と言葉で交わることが出来る神です。16節を御覧下さい。「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」ヨハネの告白です。ヨハネはキリストから何を受けたのでしょうか。それは「恵みと真理」です。それは愛と喜びです。アドベントキャンドルの真ん中の白はキリストです。その周りを囲む4本の蝋燭は「希望」「平和」「喜び」「愛」です。そのすべてがキリストを表しています。そして、そのことを現す「光」が私共に届き、その4つの「恵みと真理」は私共の中の「光」となるのです。私共は今、「キリストの豊かさ」の中にいます。私共は「恵みの上に、更に恵みを受けました。」この喜びは、聖霊の満たしは、今、寒さの中で喘いでいる人々、孤独や苦しみの中にある人々にお届けしなければならないものです。クリスマスの喜び、全ての人に。