12月25日(日)降誕日聖日礼拝

「聖 書」

いかに美しいことか。

山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。

彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。

その声に、あなたの見張りは声をあげ、皆共に、喜び歌う。

彼らは目の当たりに見る。主がシオンに帰られるのを。

歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃墟よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。

主は聖なる御腕の力を国々の目にあらわにされた。

地の果てまで、すべての人が、わたしたちの神の救いを仰ぐ。

 

 (イザヤ書 52章7~10節)

「皆共に、喜び歌う」

皆様、クリスマスおめでとうございます!心から主イエスの誕生をお祝い致します。混迷を極める今という時であるからこそ、共に心を一つにして、祈り合い、共にクリスマスを喜び歌い合う時を持つことは何より大切な事です。クリスマスの喜びとは何か?それは「神の御臨在」です。主イエスの到来を礎とする「インマヌエル」の恵みを受けることです。私共は恵みの内にキリスト者とされました。私共の務めは「地の果てまで福音を告げ知らせる」ことです。この私共の務めに、喜びを持って仕えていくならば、「地の果てのすべての人々が、私達の神の救いを仰ぐ」ことができます。私共は純粋に喜ぶべきです。私共の心の王座に、神御自身が「王の王」として来て下さったのですから。しかし傲慢な私共は「神の救い」を中々、喜びをもって受け入れることができません。神を受け入れることは、自分の人生の方向を変えなくてはならないからです。私共は心の王座を自分でいたいのです。しかし素直に心の王座を明け渡す人たちがいました。昨日のイブ礼拝で語りました「羊飼いたち」です。彼らは「地の民」でした。神はクリスマスの福音を最も貧しい者である「荒れ地の人たち」に最初に告げたのです。これは御心に適う事でした。天使の御告げを信じて、厩に赴く羊飼いたち。そこには、天使の約束通りの出来事を彼らは見ることができました。彼らは「福音を告げ知らせ」「賛美しながら」家路に着いたのです。彼らが「喜びで満たされていた」からです。では彼らは何に「賛美しながら」帰ったのでしょうか。それは勿論、神に対してです。彼らは神に栄光を帰したのです。「いと高きところには栄光、神にあれ」この言葉が成就したのです。クリスマスの意味は「神に栄光を帰す」ことです。神に救い主を感謝し、神に賛美を捧げ、神に栄光を帰すのです。彼らには幼子の「しるし」が与えられました。十字架の「贖い」の、死の葬りの姿です。この姿はイザヤ書53章の姿です。本日の御言葉は、捕囚の民にシオンへの帰還を告げる「解放」の預言です。その捕囚からの解放は「主は自ら王となられる」ことを通してです。しかし、その解放は神自らが「贖い」の為の「主の僕の苦難と死」(しるし)を通らなくてはならないのです。私共は神の犠牲により贖われました。私共は罪から解放されました。これは福音です。私共は羊飼いたちと同様、日々、「皆共に、喜び歌い合い」ましょう。