「聖 書」
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということは知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。…愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
(ヨハネの手紙 一3章1~2、21~24節)
説 教 「神の子と呼ばれるほど」
本日の御言葉は、クリスマスに読むに相応しい御言葉です。先週のクリスマス礼拝においては、メシア誕生の「大きな喜び」を羊飼いが聞き、メシアに出会う御言葉を読みました。彼らは「ユダヤコミュニティ」にメシア到来を告げに行きました。差別されてきた者の「コミュニティ」の回復です。キリスト到来が語る「大きな喜び」は、そこに留まるだけのものではありません。イブ礼拝の時にお読みした御言葉は、この「大きな喜び」の続きである「主の奉献」の場面です。シメオンはメシアに出会い、「この僕を安らかに去らせてくださいます。」と喜びを表しました。主イエスに出会い、主イエスを信じることを通して、私共は「安らかに主のみもと(天国)」に行ける喜びです。アンナは未亡人で、神殿で毎日、神様から慰めを受けていました。彼女はシメオンが「メシア到来」を喜んでいる姿を見て、そこに近づき、神を賛美しました。そしてエルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話したのです。アンナはメシアに出会い「新生」したのです。非常に年を取っていたにも関わらずに、伝道者の行動を、そして「証し人」の行動を起こしたのです。彼女の中に「大きな喜び」があったからです。「大きな喜び」は打ちひしがれている者を「立ち上がらせる力」があります。そして本日の御言葉です。24節を御覧下さい。「神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊„によって分かります。」メシア到来(初臨)は今、「教会時代」を迎え、主を信じるすべての者に聖霊が送られ、聖霊が内住して下さっています。私共は羊飼いやシメオン、アンナに励まされます。福音に出会った「大きな喜び」を知ることができるからです。それでは私共はどうでしょうか。私共の周りの人々に「励まし」となる福音を告げているでしょうか。私共は信仰者である兄弟姉妹に出会うとき、「励まし」を受けます。神が兄弟姉妹を守り、兄弟姉妹の内におられる聖霊に「励まし」を受けるのです。本日の御言葉の通りです。しかし私にはよく分かりませんと言われる方もあるかもしれません。1節を御覧下さい。初めの句は直訳すると、「見よ、何という愛」です。この「神の愛」は私共を「神の子と呼ばれるほど」に変えて下さいます。「御子に似た者」として下さいます。神の愛がそうして下さるのです。私共が聖霊の内住を確信したいならば、神の掟である互いに愛し合うを守ります。聖霊が喜びを与えられます。