「聖 書」
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。」
(ルカによる福音書 6章17~26節)
説 教 「大きな報い」
主イエスを信じることは「幸い」です。本日の御言葉は、そのところの「幸い」を主の口を通して、教えて下さっている箇所です。本日の御言葉は「平地の説教」と呼ばれるものですが、マタイ書の「山上の説教」との違いは、語られた対象の違いとなっています。マタイ書は「その人たちは(3人称)」と語られ、本書においては「あなたがたは(2人称)」となっています。つまり、本日の御言葉は「あなた」(キリスト者)に向けられて語られた「主の言葉」です。私共は「愛の共同体」を目指す「信仰者の群れ」ですが、その結果、私共にはどのような「報い」が用意されているのでしょうか。本日は、そのことについて御言葉に聴くことにいたしましょう。キリスト者の「幸い」は「天国」を心の中にもっていることです。このところを「世的」なところで説明すると、幸いは「心」にあるということです。昨日ラジオを聴いていて、このところを説明するのに相応しい「詩」見つけました。少し長いですが引用します。ママさんブロガーの「ママの毎日」という詩です。「独身の頃ヒールの靴が好きだったお酒は苦手だったけれど友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった好きな音楽はミスチルでいつもウォークマンに入れて好きな時に聴いていた電車の中でゆっくり本を読むのも好きだったお風呂では半身浴をして美容院には2ヶ月に1回は必ず行っていたお化粧するのも好きだった1人で行く映画館が好きだった流行りの雑誌を買い流行りの曲を聴き流行りの服を着て流行りの場所へ好きな時に出かけた。そんな私は 今泥だらけのスニーカーを履き子どもたちの着替えやオムツが入った大きなバックを肩にかけちゃんとした化粧もせずに髪を一つにくくり毎日子どもたちの手を繋いで公園へ散歩に行っている。聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。」これらの話が続き、その最後は「自分のことが一番大切だったそんな私に自分の命よりも大切だと思える存在がこの世にはあると教えてくれた子どもたちに心から 感謝を。」となっています。私共キリスト者にも人生の喜び悲しみ痛みは必ず訪れます。しかし私共は落胆しません。主イエスが「おられる」からです。今、「天国」を持っているからです。(本日の御言葉の基本的な解き明かしは、以前の説教を参照下さい。(2010・2・14参照)なお、次週の「聖会」においては「神の国」の主題説教を致します。)私共は、どんな時も「主を仰ぐ」という「大きな報い」を戴いています。その報いを携えて、共に参りましょう。