「聖 書」
それから、〝霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
(マルコによる福音書 1章12~15節)
説 教 「四十日間」
先週の水曜日に「灰の水曜日」を迎え、四旬節に入っています。四旬節はクアドラジェシマサンデーと言われ、ラテン語の「クアドラゲシマ」(40番目)に由来しています。勿論、本日の御言葉であるイエス様の荒野での四十日間から、そのことを覚える時として過ごします。具体的にはイエスの受難に至る期間を神に祈り、自分に節制(断食)し、他者へ慈善を施すという行為を通して信仰を表明します。しかし、その期間はイエス様が「荒野」(孤独)で40日間を過ごされたように、私達も又、密室で神と対峙する時として過ごさなくてはなりません。これはマタイ書6章2節に記されたイエスの言葉「偽善者(役者が原意)」(ヒュポクリテース)、つまり神に向き合わずに、人にのみ向き合う信仰者の危うさを語られたイエスの示唆からも解することができることです。では私共は四旬節の期間に神にのみ向き合い、何をするのでしょうか。それは本日の御言葉に示された「誘惑」(ペイラゾー)を受けることです。ギリシャ語のペイラゾーには二つの意味があります。「誘惑」と「試み」です。私共は世にあっては悪魔からの誘惑と試みを受けることは避けられません。しかしイエスを信じる私共は、イエス様が悪魔の誘惑を御言葉をもって対決され、排されたように、私共も又、イエスの御守りと御言葉によって、悪魔からの誘いに勝利することができます。本日の御言葉は、そのことを強く教えています。しかし私共は、それでも弱い人間であることを知っています。悪魔の誘いに負けてしまうかもしれません。神は、そのことを知っておられたが故に、イエスを世に送られ、「神の福音」をイエスを通して届けられたのです。ユダヤ人は人がいかに罪を犯す者であるかを知っていました。ですから「罪」の「贖いのいけにえ」を神に捧げ、罪に赦しを請うたのです。しかもユダヤ人は、「罪過のためのいけにえ」(アーシャーム)と「罪のためのいけにえ」(ハッタート)を捧げました。この意味はエフェソ書2章1節に記された「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって」の意味です。罪過は「トランスグレッション」であり、罪は「シン」のことです。心の中にある悪い思いや数えることができる「罪過」と神を信じず、神から離れる「罪」のことです。私達は四旬節の間に静まり、「試み」を受けましょう。そして自分の罪を示されましょう。そのことを深く覚えることができたならば、本日のイエス様の言葉が如何に感謝へ至るものかを知るでしょう。「悔い改めて(神に向き合い)、福音を信じなさい。」