「聖 書」
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
「神は知恵ある者たちを、その悪賢さによって捕らえられる」
と書いてあり、また、
「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」
とも書いてあります。ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも、一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。
(コリントの信徒への手紙 一 3章16~23節)
「本当に知恵ある者となる」
明日は私共の教会で「阪神宣教祈祷会」がもたれます。会場教会は牧師が冒頭のデボーションを受け持つことになっていますので、私は「証し」の分かち合いを致します。テーマは「一致の勧め」です。このこととは別に「活水の群」から原稿依頼がありました。「私の牧会」(活水)で原稿を書くようにとの依頼です。これもまた主題は同じです。神は私共の教会に一致を求めておられるようです。本日の御言葉も又、同じです。本日の御言葉の3章全体は「神のために力を合わせて働く(一致の勧め)」です。パウロ先生は私共キリスト者が、神の教会が一致して進んで行くためには、何に気をつけなくてはならないのかを示されました。また、その「一致の奥義」を知る者の幸いをも伝えて下さっています。その3章の冒頭を見ると先生はコリントの人々に厳しい言葉を語っています。「あなたがたは乳飲み子である。」「あなたがたは今も固い物(霊の知識)を口にすることができない。」その理由は教会内の争いであり、肉の人の歩みの指摘です。私共は如何でしょうか。この指摘は全ての人々に対する指摘です。しかし先生は本日の御言葉で慰めを、真実を語って下さいました。「あなたがたは、神の神殿である」の言葉かけです。この言葉は心して聞く言葉です。というのも続く御言葉が「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。」と言われているからです。週報を御覧下さい。「神の神殿」の意味を「神の霊が私達の内(ミドゥスト:奥深く)にすまれている」と解釈しています。神は私達の内に「共にある:現存在」(プレゼンス)しておられるの意味です。だから「だれも自分を欺くことはできない」のです。パウロ先生は教会の人々を脅しているわけではありません。福音の神秘を語られているのです。それゆえ最後に「すべてはあなたがたのものです」と言われました。この言葉は祝福です。何故すべては私たちのものであるのか。それは私たちが、「神のもの」であるからです。「すべてのものが神のもの」である以上、私たちを滅ぼすものはありません。私たちには「祝福のみ」です。私たちは、「神の神殿」です。その意味は、天国の住人であるということです。天国の喜びを生きる者ということです。先週に語りました「キリスト者の成長(完成)」とは「神の平安」を持ち続けることです。私共は自分を欺むかず、「メリバの水」に気をつけましょう。本当の知恵ある者は天国の住人です。