2月20日(日)聖日礼拝

「聖 書」

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。…あなたがたの父が憐み深いように、あなたがたも憐み深い者となりなさい。」

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

(ルカによる福音書 6章27~38節)

「敵を愛しなさい」

主の「愛敵」の教えです。私は何度か、この主題で解き明かしをした時に「信仰の偉人」(キング牧師、マザーテレサ、渡辺和子シスター等)の証しを通して、語らせていただきました。しかし本日の御言葉は「信仰の偉人」のものではなく、「罪人」の「わたし共」のものです。ルカ書が伝えたい主の姿と主の弟子の姿は「わたし共」に向けられたメッセージです。「愛敵」の福音を本日、私共の内(魂)にしっかりと受けとめたいと願っています。さて、本日のメッセージの要点は2つです。31節と36節です。31節「人に…」は直訳の方が意味が解せます。直訳すると、「人々が、あなたがたにして欲しいように、そのように彼らにしなさい。」となります。つまり以前お語りしたように、27節以降は22節を受けたものであり、ここに記されてある迫害や敵は、弟子の宣教先での隣人のことです。そのことを踏まえて31節を読む時、「キリストの弟子であれば、キリストの愛にて行動をするであろうと隣人は思う。その隣人の思う愛の行動をしなさい。」と解せます。では「キリストの愛の行動」とは如何なることでしょうか。それは36節の御言葉です。「父(神)の憐れみ深さを生きなさい。」ということです。父の憐れみとは「キリスト(御言葉)=いと高き方の子」の愛のことです。同じ意味を深めているのです。これは32節以降に「罪人」という言葉を加えることを通して、私共の心の中に迫ります。主は何故ここに「罪人」を登場させたのでしょうか。それは多くのユダヤ人が「罪人」や「汚れた者」と見越した者を差別して生きていたからです。この意味は律法の命題である「隣人を愛せ(同胞)」を徹底すると、「敵を憎め(異邦人)」(マタイ5:43)となる考え方のことです。キリスト教も「異端」や「異教徒」を排してきた歴史があります。私共の心には「差別」があるのです。しかし主は、主の「量り」を持てと言われます。あなたが「罪人」だと思っている者も何もあなたと変わらない。(土屋芳雄(悔悟録)、大地の子(陸徳志)の証し)主は、あなたが「罪人」と思う者を招かれた。「罪人」を救う為に世に来られた。あなたも又、差別をしてきた「罪人」です。あなたが思う罪人や敵は敵ではありません。あなたの「愛する隣人」です。「敵を愛しなさい」の意味を知る時、神の愛の深さを知ります。ルカは初めに「羊飼い」を登場させ、神の救いが全世界(あなた)にあることを告げました。