「聖 書」
それから、“霊„はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
(マルコによる福音書 1章12~15節)
イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 (2章1~12節)
説 教 「福音を信じなさい」
受難節(四旬節)に入りました。本日は2つの聖書個所を通して、「福音を信じなさい」について、御言葉に聴きたいと願っています。さて、先週の説教において、主は宣教の中で4つの「いやし」を為されたと申し上げました。再度簡潔に述べるならば、「悪霊、病気、汚れ、罪」のいやしです。この「いやし」は宣教のしるしであり、福音の具体であり、「神の国の実現」です。主は神の国(神の支配)の到来を告げ、それを実現する為に、世に来られました。では「神の国」とは「福音」とは何でありましょう。それは本日の御言葉が明らかにしています。本日の御言葉は主の「40日の誘惑」から始まります。マルコ書のプロローグの締め括りです。福音が語られる「初め」の最後です。マルコは「40日の誘惑」と「宣教」を繋いでいます。「40日の誘惑」は「霊は送り出した」(エクバロー)と記していて、神が強制的に主を荒れ野に送り出したというように解せます。それが事実なら、何故、神は主を強制的に荒れ野に送られたのでしょうか。その意味は、出エジプト記34章28節に記しています。モーセは、民の罪の為の執り成しの祈りを捧げ、命を賭けて2度目の「40日の断食」を為して神と交わり、再び神と民との「契約が立つ」ということが語られている記事です。本日の「40日の誘惑」は神の人の罪を担いきるという、「神の不退転の決意」を表しているのです。主は「私共が遭う誘惑と罪」のすべてを知り尽くす為、担い切る為に、争いと試練の厳しさを経験し、サタンと世に勝利して、神の覚悟に立ち切り、「宣教」に出られたのです。この担い切る「神の愛」は福音です。主は「福音」を携えて、宣教に出られました。主の「宣教」は、何週かに亘り、お話ししてきたように、「神の国の到来」を目に見える形で実現していったものです。では私共は、どのように福音を受けとめるべきなのでしょうか。それは2章に記された「中風の人をいやす」の記事に、その答えがあります。主は中風の人を助ける人々の信仰を見て、罪の赦しを宣言しました。そして中風の人の罪は赦されたのです。「罪の赦し」は神のみが持たれる権威です。ですから、それを行うことができた主は、神であるということです。「罪の赦し」は全人格的救いです。生き方の根本的転換です。中風の人は差別から解放され病は癒され、神のもと(家)に帰る事ができました。福音を信じるところに救いがあり、賛美があります。