2月24日(日)聖日礼拝

「聖 書」

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」

(ルカによる福音書 6章27~38節)

説 教 「敵を愛する」

本日の御言葉は有名な「あなたの敵を愛しなさい」です。しかし本日の御言葉をよく見ると、「あなたがたは敵を愛しなさい」となっています。この「あなたがた」とは誰を指しているのでしょうか。これは文脈を考えるならば、主の言葉に聞いている「弟子たち」に対してということが理解できます。そうすると「敵」とは、キリスト者を迫害する者ということになります。先週に聴いた御言葉に、「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日に、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。」とありました。主は、このこととつなげられながら「敵を愛しなさい」と言われているのです。そうするならば「信仰者」である私達にも向けられた主の言葉ということになります。まことに、私共に主の言われることに応えていく力はあるのでしょうか。私は「あなたの敵を愛しなさい」の御言葉を聞く時、渡辺和子先生のエピソードをすぐに思い出します。2.26事件のとき、渡辺大将が暗殺されました。和子先生の父であり、まさに、その時、幼少の和子先生は、その場面を目撃しました。ま傍で、父が殺されるのを見たのです。和子先生は、その後、シスターになります。幾年も過ぎ、自分はあの時の将校たちを赦していると思っていました。丁度その頃、テレビ局で2.26事件の特番があり、和子先生もゲストとして招かれました。そして何と、あの暗殺に関与した当時の将校も呼ばれていたのです。そのことを知らされていなかった和子先生は、テレビ局に着き、そのことを告げられると、胸の高鳴りを止めることができませんでした。スタッフに促され、控室にて、その方と二人きりでコーヒーを飲んで待つことになりました。和子先生は、その時、大好きなコーヒーを一口も口にすることができなかったと述壊しておられます。このことは当然なことではないでしょうか。しかし和子先生は思いました。私の心の中には、まだ「赦していない」心がある。「敵を愛する心」を持っていない。しかし、和子先生は「赦していない心」があっても、「天国」は持っておられました。その証拠は、あるシスターから相談を受けた時に見られました。あるシスターは和子先生に、私は人を赦せない心があることを告げました。すると和子先生は、「私にもあるのよ」と言われました。だから主に向き合い、赦しを請うのよとも言われました。そのシスターは天国の幸いを見つけたのです。