「聖 書」
しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。
(ガラテヤ人への手紙 4章4~7節)
「アッバ、父よ」
主の年2023年の新年を迎えました。今年一年もまた、主を仰ぎ「皆共に、喜び歌う」一年となりますように、神に「祝福の祈り」を捧げます。(祈り)さて2023年の「教会標語」は「アッバ、父よ」(ガラテヤ4:4~7)にします。「福音の源」にとどまり、常に神に栄光を帰す一年と為すためです。本日の御言葉は「ガラテヤ人への手紙」ですが、同じ内容の御言葉は「ロマ書」にもあり、それは(2015.5.31「神の相続人」)で説き明かしを致しました。その時は特に高橋文藏牧師の信仰に倣い、教会人として私共は何を相続人として受けているのかという内容の説教でした。今回は新年にふさわしい「信仰の飛躍」を願う御言葉の説き明かしを致します。ガラテヤの教会はパウロの伝道の実りの教会でした。しかしガラテヤの人々は「福音」から離れました。その嘆きをパウロ先生は、「あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」(1:6)パウロ先生があきれ果てている信仰とは、偶像礼拝であり、律法主義です。ガラテヤの人々は福音の恵みから迷い出し、人間の努力による救いへ、信仰による祝福から律法の呪いへ、神の国から滅びへと向きを変えたのです。福音から滅びへの「逆戻り」です。パウロ先生は書簡の中で、福音への立ち帰りを奨め、本日の御言葉を語るのです。4節に御子は「律法の下に生まれた」とあります。御子の「人性」です。主イエスは人であるが故に、私達の弱さと苦しみを知り、私達を「贖う」ことがおできになります。この節を直訳すると「律法の下に生まれた(自らの子)をお遣わしになりました」となります。神が私共を救うために「極みの愛」を為されたことが分かります。(時の充満:プレローマ)神は只々、恵みのみの業である「福音」を成し遂げられたのです。また6節を直訳して語ると「さて、あなたがたは神の子であるので、神は(自らの子)の霊「アバ、父よ」と叫ぶ霊を、わたしたちの心に送られた。」となります。私共は既に「神の子」なのです。神の子は「神の相続人」です。神の約束された本来の祝福を受ける者です。「神の子」は義認されます。聖霊に満たされます。永遠の命を生きます。週報の挿絵は、この「神の子」の美しさを表わしたものです。私共はもはや罪の奴隷ではありません。只々、神にすがり神に栄光を帰する人生を与えられた者です。神を信頼し、祝福を行きましょう。