「聖 書」
兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。
(フィリピの信徒への手紙 3章17節~4章1節)
説 教 「目標を目指して」
四旬節第二主日を迎えました。第二主日には、「主の変容」がよく読まれます。「主の本質」(永遠の命)が現わされた場面です。私共の目指す「目標」です。本日の御言葉でパウロ先生は「わたしに倣う者となりなさい。」と勧告します。その意味も又、同じです。先生は前節のところで「何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(3:11)と語り、「目標を目指してひたすらに走る」と語られました。(3:14)教会に呼び集められた私共の「目標」は何でしょうか?それは先生と同じものです。しかし、この「命」(ゾーエー)は愛が無くては育てることのできないものです。私は以前の説教で、4章2節以下の御言葉から解き明かしを致しました。私共の目標は「愛の共同体」を造り上げることであると語りました。では愛とは何でしょう。共同体とは何でしょう。「真実な教会とは」何でしょう。先週に私共は「荒野の40日」(ルカ4:1)「モーセの40日」(出エジ34:28)の「執り成しの愛」を知りました。この続きに「モーセの顔の光」(出エジ34:29)があるのです。「死と復活を予告」した後に続く「主の変容」(ルカ9:28)もまた、同じ意味を語るものです。私共は天国の命を戴くのです。「わたしたちの本国は天にあります。」(3:20)天国は「まことの愛」が満ちている場所です。それは神の完全な「愛の支配」があるからです。私共は未だ世に属しています。私共は救いは完全な者であっても、「死者の中からの復活」は未だ完全な者ではありません。これも以前に語りましたが、西洋人は「自分」が崩壊する時、病気になります。日本人は「共同体」が崩壊する時、病気になります。これは違う事を語りながら、「自己中心」であり「罪」を語るものです。「腹を神とする。世のことしか考えていない。」(3:19)(別紙参照)この道を行く者は、滅びを行く者であり、十字架に敵対する道(神の愛を退ける道)を歩んでいる者なのです。私共は世にある者です。サタンの誘惑は避けられません。私共の模範は主です。パウロです。信仰の先達者の方々です。パウロ先生は「罪人の頭」であることを自覚しながら、鍵の権能を授かっているペトロ先生に「神の愛のゆえ」非難しました。(週報:ガラテヤ2:11)神が建て上げられる「教会を本物に」するが故です。私共は未だ「荒野」を歩んでいます。イスラエル建国の父ベングリオンは言いました。「私の敵は私の前にいる者ではない。私の敵は荒野(自分)である。」私共には未だ罪があります。教会が愛の共同体とならないのは当然です。神は、その私共を「栄光ある体」に変えて下さる。しっかり立つ歩みを為しましょう。