「聖 書」
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。―光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。―何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
(エフェソの信徒への手紙 5章8~14節)
「明らかにされるもの」
「四旬節」の折り返しに入りました。本日は「光の子として歩みなさい」という有名な御言葉の箇所を通して、「真の回心とは何か?」を学びます。「真の回心」とは何でしょう。このことは何度も申し上げてきた「神への方向転換」のことです。私共が神に罪の悔い改めを為す時、その前には神がおられます。私共は罪を悔い改めて、心の中をすっきりさせるために、神に謝罪することが「回心」なのではありません。「回心」とは「私の中心」を神の方に向きを変え、「新しい生き方」を始めることを意味しています。キリスト教が語る「回心」とは、罪が贖われることです。ひとりの人間のすべてが、深く内面的に「変革」されることです。キリスト者にされた後にも人は罪を犯します。罪を犯した者は神に罪の告白を為して、神に赦しを戴きます。この時に罪の赦しを受け取るのか、「私の罪は神は赦されない」と思うのかは分かれ道です。「真の回心」を経験する者は、赦しを受け取るのです。本日の御言葉を御覧下さい。(5:8)「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となってなっています。」と書いています。これは直訳すると、「あなたがたは暗闇です。(自己存在)」しかし今は、主(キリスト)の中(エン)にあって、(あなたがたは)光です。」と訳して良いでしょう。神に向きを変え「真の回心」をする者は、キリストの光に照らされているだけではなく、「自らが光となる」のです。これは喜びです。これは平安です。これは完全な赦しを経験することです。このことは人間の変革です。四旬節は「回心と悔い改め」を為す時です。私共は大切な今、この時、恵みの時を無駄にすることのないように、「真の回心と悔い改め」を神に捧げましょう。(聖なる供え物)しかし今「恵みの時」の中にある人の中にも、私は全ての罪を神に告白することはできませんと言われる方がおられるかもしれません。重荷が重すぎるという自覚の故かもしれません。しかし神は本日の御言葉を通して、「真の慰め」も語っておられます。(5:14)「明らかにされるものはみな、光となる」「みな」と語っている以上、罪も含まれるでしょう。「真の悔い改め」は光となるの意味です。神に委ねます。全ての罪を告白しましょう。あなたは赦されます。全き平安を赦しを経験します。あなたは「光の子」となります。私共の現実である「眠りの中にある」「死者の中にある」状態から起き出し、光の子の歩みが始まります。